一休(柳田聖山著)
本書は人文書院1980年初版のもの。
本書は、なかなか読み進められずに積んでいた一冊。
最近、山本夏彦氏の影響もあり、日本の古いものに興味を持つようになった、そして、それが、本書を読む、集中力を与えてくれたようだ。
本書は「狂雲集」の中から抜粋して、著者が一年間12回の講義をしたものを収録したもの。
一休宗純とは、何者であろうか、そこには、破戒僧であり、詩人である?
本書を読むと、一休と言う人は、禅僧というより、芸術家であるように思えてしまうのだ。
それも、随分下世話な芸術家であるようだ。
もし、世間がよく見えるようになったとしたら、それは、その人が、世間に棲んでいないからではないのかと、怪しんでしまう。
すなわち、そこに存在しないことで、・・・例えば、彼岸からの目線で見ることが出来るから、見えないものが見えるようになるのではないか?
異端の視線、だからよく見える。
しかし、それを世間で真面目に語っても、その人は、浮き上がってしまうことだろう、狂気の人ということになるかもしれない。
それならば、その人は、ただ、笑っているしかないのではないか?
そして、その隙間にある、見識に気づく人が、近づいてくるのを待つしかないのかもしれない。
なかなか、難しいものだろう。
などと考えてしまった。
本書は、なかなか読み進められずに積んでいた一冊。
最近、山本夏彦氏の影響もあり、日本の古いものに興味を持つようになった、そして、それが、本書を読む、集中力を与えてくれたようだ。
本書は「狂雲集」の中から抜粋して、著者が一年間12回の講義をしたものを収録したもの。
一休宗純とは、何者であろうか、そこには、破戒僧であり、詩人である?
本書を読むと、一休と言う人は、禅僧というより、芸術家であるように思えてしまうのだ。
それも、随分下世話な芸術家であるようだ。
もし、世間がよく見えるようになったとしたら、それは、その人が、世間に棲んでいないからではないのかと、怪しんでしまう。
すなわち、そこに存在しないことで、・・・例えば、彼岸からの目線で見ることが出来るから、見えないものが見えるようになるのではないか?
異端の視線、だからよく見える。
しかし、それを世間で真面目に語っても、その人は、浮き上がってしまうことだろう、狂気の人ということになるかもしれない。
それならば、その人は、ただ、笑っているしかないのではないか?
そして、その隙間にある、見識に気づく人が、近づいてくるのを待つしかないのかもしれない。
なかなか、難しいものだろう。
などと考えてしまった。