寺山修司
本書は「ちくま日本文学全集」のうちの一冊。
寺山修司に興味を持ったのは、「私という現象(三浦雅志著・・・講談社学術文庫)」を読んだからだが、さて、寺山氏のどの本から読むべきかは不明だったので、本書のような手軽な全集は重宝する。
読んでみて驚いたのは、著者がしっかりとした思想の持ち主であること、本人には叱られそうだが「哲学」があるのだ。
本書の中では、「地理」という言葉で「空間」を、「歴史」という言葉で「時間」を表現し、そこに人間がどう関わるのか、その考え方を表明している。
また、世界は虚像であり、自分自身が事実なのだとする。
これは、一見、特異な考え方のように見受けられるが、それは、時間を掛けて考え抜いた末の結論なのだ。
そして、よくよく考えると、この世の中はその虚構で作られていることに気づくのだ。
著者のその思考にかけた労力は簡単に否定することはできない。
それは、とても堅固なもの人生そのものなのだ。
これは、人間についての深い洞察であるのだ、そしてなにより驚くべきことは、この全体的に悲観的なトーンを帯びた著者の思想の下には、決してニヒリズムに転落しない、強力な土台(生命力)が存在するのだ。
さて、著者の名前は、以前から知っていた、あまりに有名なのでその作品に触れることはなかった。
しかし、今度その作品に触れることで、すこし後悔した。
そして、私は、著者の齢(歴史)を越えてしまったのである。
私は自分の希薄な生き方を恥ずかしく思う。
寺山修司に興味を持ったのは、「私という現象(三浦雅志著・・・講談社学術文庫)」を読んだからだが、さて、寺山氏のどの本から読むべきかは不明だったので、本書のような手軽な全集は重宝する。
読んでみて驚いたのは、著者がしっかりとした思想の持ち主であること、本人には叱られそうだが「哲学」があるのだ。
本書の中では、「地理」という言葉で「空間」を、「歴史」という言葉で「時間」を表現し、そこに人間がどう関わるのか、その考え方を表明している。
また、世界は虚像であり、自分自身が事実なのだとする。
これは、一見、特異な考え方のように見受けられるが、それは、時間を掛けて考え抜いた末の結論なのだ。
そして、よくよく考えると、この世の中はその虚構で作られていることに気づくのだ。
著者のその思考にかけた労力は簡単に否定することはできない。
それは、とても堅固なもの人生そのものなのだ。
これは、人間についての深い洞察であるのだ、そしてなにより驚くべきことは、この全体的に悲観的なトーンを帯びた著者の思想の下には、決してニヒリズムに転落しない、強力な土台(生命力)が存在するのだ。
さて、著者の名前は、以前から知っていた、あまりに有名なのでその作品に触れることはなかった。
しかし、今度その作品に触れることで、すこし後悔した。
そして、私は、著者の齢(歴史)を越えてしまったのである。
私は自分の希薄な生き方を恥ずかしく思う。