幸福論(寺山修司著)
本書は角川文庫版で読む。
本書の初出はどこにも書かれていないのだが、文中に著者が34歳という記述があることから昭和45年(1970年)ごろの作品であると思う。
冒頭に「アランの『幸福論』などくそくらえ!」とあり、やはりこの人は鋭いのだと思う。
ちなみに、幸福とはなんなのだろう・・・それについては、本書を探して読むという手もあるかもしれない・・・もし、有名な「幸福論」を読んでしまって不満があるのならば(だが)。
それにしても、ヘーゲル、マルクス、マルクーゼ、オルテガ、ベンヤミン等々、記憶しているだけでもこんな顔ぶれの人々が引用されている。
しかも、読み込みは的確である。
こんな人がいたのだなぁ・・・その人が、逆説的に「読書よさらば」と語るのだ。
ふう。
ちなみに、私は著者にとって一番遠いところにいる「幸福になりたくない人」ではないかと、自分自体を怪しんでいる。
最近自分のことを考えるようになっているが、何か矛盾の多い性格のように思うのだ。
本書の初出はどこにも書かれていないのだが、文中に著者が34歳という記述があることから昭和45年(1970年)ごろの作品であると思う。
冒頭に「アランの『幸福論』などくそくらえ!」とあり、やはりこの人は鋭いのだと思う。
ちなみに、幸福とはなんなのだろう・・・それについては、本書を探して読むという手もあるかもしれない・・・もし、有名な「幸福論」を読んでしまって不満があるのならば(だが)。
それにしても、ヘーゲル、マルクス、マルクーゼ、オルテガ、ベンヤミン等々、記憶しているだけでもこんな顔ぶれの人々が引用されている。
しかも、読み込みは的確である。
こんな人がいたのだなぁ・・・その人が、逆説的に「読書よさらば」と語るのだ。
ふう。
ちなみに、私は著者にとって一番遠いところにいる「幸福になりたくない人」ではないかと、自分自体を怪しんでいる。
最近自分のことを考えるようになっているが、何か矛盾の多い性格のように思うのだ。