110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ボードレール(ヴァルター・ベンヤミン著)

 本書は岩波文庫版「ベンヤミンの仕事」というシリーズものの2巻目にあたる。
 (文庫の初版刊行は1994年)
 本書には、6つの作品が収められている。
 それは「フランツ・カフカ」「複製技術の時代における芸術作品」「カフカについての手紙」「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」「ブレヒトの詩への注釈(抄)」「歴史の概念について」である。
 本書の題名は、本書中では一番長編の「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」から取ったものであろう。

 ベンヤミンの著作を読んでいると、「20世紀になって喪失したもの」という、漠然とした言葉が浮かんでくる。
 それは「複製技術の時代における芸術作品」にあるように、写真や録音技術によって発生した、芸術の評価の変化であり、単純まとめてしまえば、それらは、科学技術の発展によってもたらせられたものなのかもしれない。
 
 それでは、その「喪失したもの」をどう評価すればよいのだろう?
 それらのうちのいくつかは、本来の競合ではなく、なんらかの権力によって、恣意的に葬られたものかもしれないではないのか? 

 ベンヤミンを読むといつもそんなことを考えるのだ。
 
 そういえば、本書の一連の「カフカ」ものを読んでいて思ったのだが、官僚制自体には、自己権力の増殖志向しかないのではないかと思った、すなわち、巨大な外圧を掛けないと縮小はできない。
 そもそも「権力」というものの根底はそれではないのか?