齢をとるということ
齢をとることとはどういうことだろうか?
最近、こんなことを考えるようになりました。
そのきっかけは、私の両親を見ていて感じたことなのですよ。
幸いなことに、両親は未だ健在ですが、二人とも80歳を超えています(後期高齢者ですね)。
しかも、公的介護は、今のところ受けていません。
しかし、最近、困ったことが起こっています。
親父が、少しおかしいのです。
一番顕著なのは、お袋が家事をやっているところにやってきては、自分の好きな話をし始めるのです(いわゆる邪魔ですね)。
これが、相手が忙しかろうが、なんだろうが、関係なく続く、まぁ、飲食店に行って、突然厨房に押し入って、自分の好きな話をしだすという状況を思い描くと良いと思います。
厨房で演説をしたら、多分、叩き出されるはずです・・・・ところが、本来あったほうが良い、そういう気遣いが、うちの親父からは消し飛んでしまったようなのですよ。
え、その程度ではたいしたことはないですって、そうですか、ただし、その状態が、2年も3年も毎日のように続いたとしたら如何ですか、つまらない話を聞かされる方(お袋)は「ちりも積もれば山となる」で、ついにノイローゼになってしまいました(なるべく愚痴は聞いたりして発散してもらうようにはしていますが)。
でも、この親父、かつては一流企業で人事系の仕事していて、役員にまでなった人なんですよね。
こんな簡単な気遣いが出来ないはずは無いはずなんですけれども・・・・肩書き・経験・理論上は(そういうのはあてにならないって・・・・ごもっともです)
多分、親父は精神(こころ)を、いつの時からか病んでしまったのだろうと思います。
できれば、他人に影響を与えない病であって欲しかったのですが・・・・(でも、ご本人はこの世の中で自分ほど潔白な人間はいないと思っているはずです)。
そんな日々の観察からふと思ったことは、齢をとることは、それも老齢になるということとは、その人の潜在的な人徳が、表面に浮き上がることなのではないか・・・と、そう怪しんでいるんですよね。
そして、自分も長生きしたら、このようになるのかなぁ・・・ある程度遺伝子は共通だしとか思うのですよね。
世の中には、私のところよりもひどい状況でも、懸命に介護をされている方も多数いらっしゃると思いますので、私のところはまだ幸せな方なのだと思います。
人生としての黄昏は誰にでも来るもので、ふとした瞬間に、そんな事について考えるようになりました。
最近、こんなことを考えるようになりました。
そのきっかけは、私の両親を見ていて感じたことなのですよ。
幸いなことに、両親は未だ健在ですが、二人とも80歳を超えています(後期高齢者ですね)。
しかも、公的介護は、今のところ受けていません。
しかし、最近、困ったことが起こっています。
親父が、少しおかしいのです。
一番顕著なのは、お袋が家事をやっているところにやってきては、自分の好きな話をし始めるのです(いわゆる邪魔ですね)。
これが、相手が忙しかろうが、なんだろうが、関係なく続く、まぁ、飲食店に行って、突然厨房に押し入って、自分の好きな話をしだすという状況を思い描くと良いと思います。
厨房で演説をしたら、多分、叩き出されるはずです・・・・ところが、本来あったほうが良い、そういう気遣いが、うちの親父からは消し飛んでしまったようなのですよ。
え、その程度ではたいしたことはないですって、そうですか、ただし、その状態が、2年も3年も毎日のように続いたとしたら如何ですか、つまらない話を聞かされる方(お袋)は「ちりも積もれば山となる」で、ついにノイローゼになってしまいました(なるべく愚痴は聞いたりして発散してもらうようにはしていますが)。
でも、この親父、かつては一流企業で人事系の仕事していて、役員にまでなった人なんですよね。
こんな簡単な気遣いが出来ないはずは無いはずなんですけれども・・・・肩書き・経験・理論上は(そういうのはあてにならないって・・・・ごもっともです)
多分、親父は精神(こころ)を、いつの時からか病んでしまったのだろうと思います。
できれば、他人に影響を与えない病であって欲しかったのですが・・・・(でも、ご本人はこの世の中で自分ほど潔白な人間はいないと思っているはずです)。
そんな日々の観察からふと思ったことは、齢をとることは、それも老齢になるということとは、その人の潜在的な人徳が、表面に浮き上がることなのではないか・・・と、そう怪しんでいるんですよね。
そして、自分も長生きしたら、このようになるのかなぁ・・・ある程度遺伝子は共通だしとか思うのですよね。
世の中には、私のところよりもひどい状況でも、懸命に介護をされている方も多数いらっしゃると思いますので、私のところはまだ幸せな方なのだと思います。
人生としての黄昏は誰にでも来るもので、ふとした瞬間に、そんな事について考えるようになりました。