渋江抽斎(森鴎外著)
本書は岩波文庫版で読む。
本書は著者の代表作の一つであると言われる、そして、その特徴は、特徴のなさだということにある。
解説を読むと、本書ではそれまでの小説の手法ではなく、歴史を淡々と記述していくという客観的な作品に転じているという。
なるほど、本作には著者の意見のようなものは余り出てこないように思う。
それでは、本書は小説なのか否か?・・・これも、意見の分かれるところで、小説という考え方もあれば、著者の言う様に歴史的な叙述であり小説ではないという見方もある。
さて、それでは本書は論文のようなものなのか、いや、本書は大変面白い作品なのだ、渋江抽斎という人物を中心に取り巻く人々を、一人ひとり丹念に調べて記述する、ただそれだけなのだが、そこに何か得も言えぬ感情が沸いてくるのだ。
それは、江戸末期から明治という時代が生み出したことなのかもしれないし、渋江家の人々が、予想以上の役者ぞろいであったのかもしれない。
しかし、その着眼点と言い、本書は面白い著作だとしかいえない。
そして、本書はノンフィクションなのだ、そこには、人の生活というものの不可思議が覗えるのだ、そう、それは彼らの歴史のごく一部でしかないだろうが、その不可思議なことが、小説(作り物)以上の事象を生み出すという「その」ことの驚きなのかもしれない。
さて、私は本書を岩波文庫版で読んだ、それは、現代仮名使いで、当用漢字に直したものだが、ふと、この文体、山本夏彦の「無想庵物語」などの文章ににているなぁ、と思った(影響を受けたのはは、山本氏方だろうが)。
客観的な文章を積み重ねていくことで、何か感動が生まれるという、そういう手法もあるのだ。
本書は著者の代表作の一つであると言われる、そして、その特徴は、特徴のなさだということにある。
解説を読むと、本書ではそれまでの小説の手法ではなく、歴史を淡々と記述していくという客観的な作品に転じているという。
なるほど、本作には著者の意見のようなものは余り出てこないように思う。
それでは、本書は小説なのか否か?・・・これも、意見の分かれるところで、小説という考え方もあれば、著者の言う様に歴史的な叙述であり小説ではないという見方もある。
さて、それでは本書は論文のようなものなのか、いや、本書は大変面白い作品なのだ、渋江抽斎という人物を中心に取り巻く人々を、一人ひとり丹念に調べて記述する、ただそれだけなのだが、そこに何か得も言えぬ感情が沸いてくるのだ。
それは、江戸末期から明治という時代が生み出したことなのかもしれないし、渋江家の人々が、予想以上の役者ぞろいであったのかもしれない。
しかし、その着眼点と言い、本書は面白い著作だとしかいえない。
そして、本書はノンフィクションなのだ、そこには、人の生活というものの不可思議が覗えるのだ、そう、それは彼らの歴史のごく一部でしかないだろうが、その不可思議なことが、小説(作り物)以上の事象を生み出すという「その」ことの驚きなのかもしれない。
さて、私は本書を岩波文庫版で読んだ、それは、現代仮名使いで、当用漢字に直したものだが、ふと、この文体、山本夏彦の「無想庵物語」などの文章ににているなぁ、と思った(影響を受けたのはは、山本氏方だろうが)。
客観的な文章を積み重ねていくことで、何か感動が生まれるという、そういう手法もあるのだ。