110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

閨房哲学(マルキ・ド・サド著)

 本書は河出文庫版で読む。

 確かに本作は問題作だ、ヒューマニズム(人間中心主義)にして、快楽主義(エピクロスとは違う)、そして極端な個人主義とも言えそうだ。
 そして、現代の法律から見ると、女性の差別や殺人に対する寛容などが目に付くのだ。
 しかし、本書をよく読むと、果たしてその印象程変な思想なのだろうか?
 もとより、社会における法が、人間が恣意的に作ったものであるならば、究極的なところまで意味をつめていくと、そもそもの意味が定義できない境地が出てくる。
 例えば「何故殺人はいけないのか」という問いに対しては、紋切型で応えるならば「法律で禁止されているからだ」ということになるが、それでは「緊急避難」・・・例えば、自分が襲われて殺されそうになったので、やむなく殺してしまったという時にはどうなのだろうか?
 もう少し、現実的な事象で行けば、戦争状態になったときに、その戦闘中に人を殺した(これは、一般に罪に囚われないはず)場合は、どうなのか?
 すなわち、殺人一つにも絶対的な善悪が存在しないのだ。

 そんなことを考えてしまうと、理性的な面の皮をかぶりつつ「人間でござい」と生活することは、とても難しいことなのではないかと危惧するのだ。
 本書では神や宗教を否定しているが、そういう意味では、仏教の持つある種の冷たさに共通するところもあるように思えてしまうのだ(仏教は不殺生で逆説的だけれども)。
 そして、本書を仮に「悪」と断定するのならば、本書があることにより、対立するものとしての「善」が成り立つということになるのではないかと思うのだ。
 
 サドの作品ははじめて読んだのだが、なかなか奥の深いところがある。