ドストエフスキー(ルネ・ジラール著)
本書は法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)1983年刊行のもの(原書は1963年刊行)。
ドストエフスキーの小説をから、著者の「三角形的欲望」論を展開するというものらしいのだが、私は単純に「地下室の手記」に比喩される、ドストエフスキーの精神の「地下室」(それは、人間に普遍的にあるものかもしれない)を探りだし、そこから、脱出する可能性がある道を「カラマーゾフの兄弟」において見出したのではないか・・・という視点に興味を持った。
そこには、我と(汝でなく)他に分離する「人間の自尊心」というものの特質と、その自尊心から生み出され(例えば)善悪という2元論を究極論的に適用して、精神の分裂に悩むドストエフスキーという人間の、常人では到達できない様な・・・まさに、狂人か天才かの二者択一のような状況が浮かび上がる。
繰り返しになるが、そこで、ドストエフスキーは何か(出口・・・道)を見つけたようなのだ。
ちなみに、本書ではフロイトの精神分析学的なアプローチも散見される。
先に、解説書を読むのは「後出しじゃんけん」のようにキマヅイのだが、これで「カラ兄」を読んでみようという気になった(しかし、いつになることやら死ぬまでには読みたいものだ)。
小冊子なので気楽に読めた。
ドストエフスキーの小説をから、著者の「三角形的欲望」論を展開するというものらしいのだが、私は単純に「地下室の手記」に比喩される、ドストエフスキーの精神の「地下室」(それは、人間に普遍的にあるものかもしれない)を探りだし、そこから、脱出する可能性がある道を「カラマーゾフの兄弟」において見出したのではないか・・・という視点に興味を持った。
そこには、我と(汝でなく)他に分離する「人間の自尊心」というものの特質と、その自尊心から生み出され(例えば)善悪という2元論を究極論的に適用して、精神の分裂に悩むドストエフスキーという人間の、常人では到達できない様な・・・まさに、狂人か天才かの二者択一のような状況が浮かび上がる。
繰り返しになるが、そこで、ドストエフスキーは何か(出口・・・道)を見つけたようなのだ。
ちなみに、本書ではフロイトの精神分析学的なアプローチも散見される。
先に、解説書を読むのは「後出しじゃんけん」のようにキマヅイのだが、これで「カラ兄」を読んでみようという気になった(しかし、いつになることやら死ぬまでには読みたいものだ)。
小冊子なので気楽に読めた。