110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

経済政策を売り歩く人々(ポール・クルーグマン著)

 本書は1995年日本経済新聞社より刊行のもの、私は、2009年初版のちくま学芸文庫版で読む。

 本書は、70年代から90年代にアメリカの政策に影響を及ぼした経済学説を、著者が検証・批判していくと言うもの、その中には有効性が疑問視されたり、全く効果を持たないもの、また、その判断ミスから不況の原因と考えられるもの、そして、幸いにも何らかの効果をもたらしたものなどがあるという。
 しかし、問題なのは、経済学者の中にも、純粋に経済学を一心に研究している者もいれば、経済政策を売り込むことに専念し有効性が疑問視されるものでも、政治的(政治家)に登用されることを目的とする者がいるのだという。
 著者は、ここで後者の政策プロモーターに苦言を呈しているわけだ。

 さて、ここではアメリカの政治と経済政策について外観を著者が敷衍したわけだが、それでは、この教訓は日本にも生かせるのかというと、これは肯定できるだろう。
 例えば、アメリカでも経済性成長率が低迷した時期があった、これは現在の日本にも当てはまるのかもしれないのだが、ご存知の通りに、アメリカはこの苦境を一度は脱している。
 これは、どういう要件で起こったのか・・・については興味があったのだが、実は、政策的なテコ入れによる効果余り無いようなのだ(やらないよりはやったほうがましというところはあるようだが)。
 著者は、経済の複雑性を指摘しており、更に、経済政策と景気の相関関係すら怪しいということを記している(ある大臣のときに景気が良かったのは、その当時の経済・財務政策が優れていたからだということは必ずしも言えない(レーガンサッチャー))。
 
 それでは、どうすれば良いのか?
 本物の経済学者と政策プロモーターを識別して、本物の経済学者の慧眼に頼ることを推奨しているようだ。
 しかし、その本物の経済学者は、自分の研究に忙しくて表には出てこないようなのだ。
 そこには、何か矛盾を感じるのだが・・・・。

 さて、本書の最後にこんな疑問(と解答)が載っていた、これは、経済学者の判断の1つの踏み絵だそうだ、ここでは、疑問だけを上げておこう。
 )念彖蠎蟾颪茲蠅眄源裟の劣っている国はどうなるのか。
 ∨念彖蠎蟾颪茲蠅眄源裟の後れをとっている場合はどうか。
 3姐颪箸龍チ茲砲気蕕気譴討い詆門の生産性の上昇率と、外国との競争から隔離されている国内市場を相手にしている部門の生産性の上昇率とでは、どちらがより重要なのだろうか。

 本書が刊行されてから15年経過している、この疑問の解答は未だ有効なのだろうか、また、日本と言う国には該当するのだろうか?
 素人はどうしても目先のことで懐疑的になるものなのだろう。