110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

雇用対策?

 若年層の雇用が少ないということが問題になっているのだが、雇用とはなんだろう?
 意味的には、雇い、用いるということだが、これが少ないということなのだろうか?

 よく考えると、雇用数を増やすということならば、幾つかのパターンがあると思うのだ。
 1つは、ある企業の成長により、現行の人員では手が足りなくなってしまった場合。
 1つは、例えば、会社の歴史が古く、高齢による退職者が出て、その補充をする場合。
 のように、成長に伴う雇用増と雇用者の欠如による補充があるのだろう。

 細かい分析数字は持っていないので、哲学的な思考実験だが、現在のように殆ど経済規模が拡大しない情況では雇用者が増えるのは自然なのだろうか?
 もし、それが実現するとなれば、非成長化での雇用増と言うことで、賃金の低下が起きるのではないか?
 例えば、現在、100名の従業員が、突然200名に増員されたが、売上収益は変わらないとすると、賃金は半分にしたいのではないか(極端な例だが)?
 それならば、全体にデフレ圧力が掛かることになる。
 
 だから、雇用対策だけでは、ある一面だけを見ていることになろう。
 ちなみに、雇用対策は現行の経済状況がある程度維持されるならば(無理なことは皆さんご承知だが)、このまま放っておけば良い様に思う、すなわち、あと10年くらいで、累積として数百万人という大量のリタイア者が出てくるので、特に若年層は引く手あまたになるだろう。

 と思うのだが、どうなのだろう?

 大前研一の今週のコラムでは、政府財政削減とともに、起業の推進を上げている、これも1つの雇用対策と言えるだろう、当然失敗のリスクもあるが、起業が活発になれば、雇用は上がる、特に間接部門の雇用が上がるはずだ。
 そして、これらはミクロな対策であり、マクロにはなかなかできないことだ。
 政府がベンチャー企業振興に随分力を入れていたが、余り効果が無いのはそういうことだと思う。

 実は、私的にはこんなことを考えている、官僚の方針として無謬性というのがあるが、これがある意味問題なのではないか・・・と?

 この無謬性が全体に蔓延しているのが現在の日本であり、そこにはダイナミクスが欠如したのだろう。
 すなわち、失敗が出来ないということは、そこから新しいことを起す芽も摘んでしまうのではないか?
 ユニクロ柳井正氏の著作に「1勝9敗」とあるように、殆ど失敗しながら、成長するのではないのか?

 無謬性は無謬なのか?

 ちなみに、私は、現在の日本の状況を「体感的に」デフレ社会だと思っている、統計数字はそうなっていないのだ、このギャップが「体感的に」理解できない。
 だから、デフレ状況下で借金を増やせば・・・・