断章60~61
断章60からは、第二章「神なき人間の惨めさ」へ入る。
その断章60だが、
「第一部。神なき人間の惨めさ」これを換言すると「自然が腐敗していること。自然そのものによって」
「第二部。神とともにある人間の至福」これを換言すると「修理者が存在すること。聖書によって」
となる、神の存在を肯定する立場に関して、当時よりも現在の方が批判が多いのかもしれない。
もしかすると、宗教・・・ああ、ダメダメ、でおしまいの人もいるかもしれないが、まあまあ、もう少し読んでみようよ。
本書はもとよりそういう本だから。
断章61は「順序」ではじまる、順序は大事だ、本断章の終わりに「数学は、それ(順序)を守るが」とあり、数学は順序に基づくものだということがわかる。
パスカル自身は「順序というものがどういうものであるか、そしてそれを理解している人がいかに少ないかということを、いささか心得ている」が「人間的な学問は一つとしてそれを守ることができない」と言う。
そこで、先ほどの「数学は、それを守るが」と出てくるのだが「その深みにおいて無益である」と指摘されるのだ。
この論理を押していくと、数学は「人間的学問」とは異なるということになりそうだが?
とりあえず、本断章だけでは解決できそうにない問題定義だと思う。
その断章60だが、
「第一部。神なき人間の惨めさ」これを換言すると「自然が腐敗していること。自然そのものによって」
「第二部。神とともにある人間の至福」これを換言すると「修理者が存在すること。聖書によって」
となる、神の存在を肯定する立場に関して、当時よりも現在の方が批判が多いのかもしれない。
もしかすると、宗教・・・ああ、ダメダメ、でおしまいの人もいるかもしれないが、まあまあ、もう少し読んでみようよ。
本書はもとよりそういう本だから。
断章61は「順序」ではじまる、順序は大事だ、本断章の終わりに「数学は、それ(順序)を守るが」とあり、数学は順序に基づくものだということがわかる。
パスカル自身は「順序というものがどういうものであるか、そしてそれを理解している人がいかに少ないかということを、いささか心得ている」が「人間的な学問は一つとしてそれを守ることができない」と言う。
そこで、先ほどの「数学は、それを守るが」と出てくるのだが「その深みにおいて無益である」と指摘されるのだ。
この論理を押していくと、数学は「人間的学問」とは異なるということになりそうだが?
とりあえず、本断章だけでは解決できそうにない問題定義だと思う。