110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

パスカル

断章132~134

断章132 「私の思うには、カエサルは、世界征服をして楽しもうとするには、年を取りすぎていた。そんな楽しみは、アウグストゥスとかアレクサンドロスに向いていた。彼らは、止めることがむずかしい若者だったのである。だが、カエサルはもっと大人のはずで…

断章131

断章131 倦怠。 人間にとって、完全な休息のうちにあり、情念もなく、仕事もなく、気ばらしもなく、集中することもなしでいるほど堪えがたいことはない。 すると、自己の虚無、孤独、不足、従属、無力、空虚が感じられてくる。 たちまちにして、彼の魂の奥底…

断章126~130

断章126 「人間の描写。 従属、独立の願い、不足。」(全文) 断章127 「人間の状態。 定めなさ、嫌気、不安。」(全文) 126、127について、いやはや的確だ。 断章128 「執着していた営みから離れることから起こる困ったこと。一人の男が、楽しく夫婦生活を…

断章121~125

久しぶりに再開してみよう。 断章121 「自然は常に同じ事を繰り返す」ものだという、そして「一種の無限と永遠とができる。しかし、これらすべてのもののどれかに無限や永遠のものがあるというわけではな」く「それらの限られた存在が、無限に増加されていく…

断章119、120

断章119、「自然は互いに模倣する。自然は互いに模倣する。よい土地にまかれた種は、実を結ぶ。よい精神にまかれた原理は、実を結ぶ。」ここまではよいのだがこの後突然「それぞれの本性がこうも異なるのに、数は空間を模倣する。すべては同一の主によってな…

断章116~118

断章116 「職業。思想。すべては一つであり、すべては多様である。人間の本性といっても、そのなかにはいかに多くの本性があることだろう。いかに多くの天職があることだろう。そして人は、普通、どんな偶然から、ある職業がほめられるのを聞いてそれを選ぶ…

断章114、115

断章114は「多様性というものは」とはじまる、そして「声の調子」「歩きぶり」「咳のしかた」「はなのかみかた」「くしゃみのしかた」と例示していく。それに続けて「人は、果物のなかから葡萄を見分ける。そしてあらゆる葡萄のなかからマスカットを、ついで…

断章109~113

断章109は「健康のときには、もし病気になったらどういうふうにやっていけるのだろうと怪しむ」ところが「病気になったらなったで、喜んで薬をのむ」それは「病気がそうさせるのだ」そのときに「人はもう、健康があたえていたもろもろの情念や、気ばらしとか…

断章105~108

断章105は、「あることについて人の判断を求めるときに、その説明の仕方でその人の判断を雲らさないようにするのは、なんと難しいことだろう」と始まる、人が何かを話すときに意識的にも無意識的にも自身の評価を加えていることがある、だから「私は、これを…

断章103、104

「アレクサンドロスの貞潔の模範は・・・」で始まる本断章103は、偉人といえどもその能力(?)が我々よりも高いのは認めてもその本質は凡夫とあまり変わらないところもあるのだと説く、「彼らの丈(たけ)が我々より高いのは、彼らの頭がわれわれより高いと…

断章101、102

この「パスカル」という項目では、パスカル著作「パンセ」の各断章を紹介し、手前勝手な注釈をしている。 もし、あなたが「人間中心主義」ならばモンテーニュを読むがいい、パスカルは自然科学の筆頭でありながら、そこにはいないのだ、そして、私は、そうい…

断章100

この「パスカル」という項目では、パスカル著作「パンセ」の各断章を紹介し、手前勝手な注釈をしている。 もし、あなたが「人間中心主義」ならばモンテーニュを読むがいい、パスカルは自然科学の筆頭でありながら、そこにはいないのだ、そして、私は、そうい…

断章97~99

この「パスカル」という項目では、パスカル著作「パンセ」の各断章を紹介し、手前勝手な注釈をしている。 もし、あなたが「人間中心主義」ならばモンテーニュを読むがいい、パスカルは自然科学の筆頭でありながら、そこにはいないのだ、そして、私は、そうい…

断章95、96

この「パスカル」という項目では、パスカル著作「パンセ」の各断章を紹介し、手前勝手な注釈をしている。 もし、あなたが「人間中心主義」ならばモンテーニュを読むがいい、パスカルは自然科学の筆頭でありながら、そこにはいないのだ、そして、私は、そうい…

断章92~94

この「パスカル」という項目では、パスカル著作「パンセ」の各断章を紹介し、手前勝手な注釈をしている。 もし、あなたが「人間中心主義」ならばモンテーニュを読むがいい、パスカルは自然科学の筆頭でありながら、そこにはいないのだ、そして、私は、そうい…

断章89~91

また、細々と再開したいと思う。 断章89は習慣について記している、「習慣はわれわれの本性である。信仰に慣れる者はそれを信じ、もはや地獄を恐れずにはいられなくなり、ほかのものを信じない」そして「王は恐るべきものだと信ずることに慣れたる者」も同様…

断章86~88

断章86は「私の気分は、蛙のようにがあがあ言う人や、息を吹きながら食べる人を、私に嫌悪させる。気分というものもなかなか重みのあるものである。そこから何を学ぶのだろう。その重みが自然だからといって、われわれがそれに従うというのだろうか。いな、…

断章83~85

断章83は「欺瞞的諸勢力の章をここから始めること」という、少し気になる文で始まる。 その背景は「人間は、恩恵なしには消しがたい、生来の誤謬に満ちた存在でしかない。何ものも彼に真理を示さない。すべてが彼を欺く」ということだという。 それは、断章8…

断章82

断章82は比較的長いものだが、この断章の集約は冒頭にある。 想像力。 これは人間のなかのあの欺く部分のことである。あの誤りと偽りの主であり、いつもずるいと決まっていないだけに、それだけいっそうずるいやつである。なぜなら、もしそれが嘘のまちがい…

断章80、81

断章80は「びっこの人が、われわれをいらいらさせないのに、びっこの精神を持った人が、われわれをいらいらさせるのは、どういうわけだろう。」という問題提起からはじまる。 そして、再びエピクテトスの言葉を引用する、それは「われわれは、人に頭が痛いで…

断章75~79

断章75は、冒頭の「第一部、第二篇・・・」に続いて「臆説。さらに一段引き下げて、それをおかしなものにすることは、困難ではないだろう。なぜなら、それ自体からはじまれば」という意味がとりにくい一説が入る。 私見では、最後の「それ自体からはじまれば」…

断章73、74

断章73は、少しやっかいだ。 前半は「しかし、この問題はおそらく理性の範囲を越えているだろう。・・・」と始まる、「この問題」には様々な言葉が入りそうだが、簡単に解答できるものではないだろう、だから「理性の考えだしたことを、その力に応じた事物につ…

断章72

断章72はかなり長いの文章だが「人間の不釣合」という冒頭の書き出しが全てを物語るのであろう。 そして、本断章の要約は次の「自然的な認識がわれわれを導いていくところはここまでである。もしそれが真でないならば、人間のうちに真理は存在しない。また、…

断章70、71

断章70は「自然は・・・ない。」と始まるのだが、これは私には不明だ。 そして、そこに続くのが「自然はわれわれをちょうど真ん中においたので、われわれが秤の一方を変えると、他方も変えることになる」とあり、「われわれの頭の中には、その一方にさわると、…

断章68、69

断章68は難しい、「人々は真人間になることは教えられないで、それ以外のことをみな教え込まれる」 この「真人間」とは「オネットム」ということで、これは、普遍的なとされる人間なのだが、残念ながら全てを把握する能力はないので、様々な事を広く浅く全て…

断章64~67

断章64は、燻し銀のような言葉。 「モンテーニュのなかで私が読みとるすべてのものは、彼のなかではなく、私自身のなかで見いだしているのである。」(全文) 断章65は、再びモンテーニュについて、パスカルの立場を考えると次の言葉が効いてくる。 「彼のに…

断章62、63

断章62は「第一部の序言」とはじまる、第一部とは何か?と疑問が起るが、この断章だけでは判断できない。 ただし、ここでは「自己認識の問題を論じた人たちについて話すこと」と、主題を明確にしている。 そして、シャロンとモンテーニュの2名を取り上げ、モ…

断章60~61

断章60からは、第二章「神なき人間の惨めさ」へ入る。 その断章60だが、 「第一部。神なき人間の惨めさ」これを換言すると「自然が腐敗していること。自然そのものによって」 「第二部。神とともにある人間の至福」これを換言すると「修理者が存在すること。…

断章57~59

断章57は、挨拶に意味を感じると違和感を感じるということ。 「たいへんご苦労さまでした」や「ご迷惑をおかけしないかと心配です」や「あまり長くなりはしないかと心配です」など「こんなことを言う人は、まさにそのとおりだと思わせるか、私たちをいらだた…

断章52~56

断章52「宮廷人でない人たちでなければ、宮廷人という言葉は使わない。衒学者でなければ、衒学者、田舎者でなければ、田舎者という言葉は使わない。だから、『田舎人への手紙』にそういう題をつけたのは、印刷人であるということに、私は賭けてもいい」 これ…