断章132~134
断章132
「私の思うには、カエサルは、世界征服をして楽しもうとするには、年を取りすぎていた。そんな楽しみは、アウグストゥスとかアレクサンドロスに向いていた。彼らは、止めることがむずかしい若者だったのである。だが、カエサルはもっと大人のはずである。」(全文)
微妙に突っ込むと、カエサルの時代のローマは確かに大きかったが、世界を意識するところであったかどうか?
断章133
「個別的にはどれも笑わせない似ている二つの顔も、いっしょになると、その相似によって笑わせる」(全文)
笑うということは難しいことだよね、悲しくても笑ったりするしね。
断章134
「絵画とは、なんとむなしいものだろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは。」(全文)
逆説なのか?それとも、写真の無い時代ゆえの感慨なのだろうか?
例えば風景画の元となる原風景を見てもさっぱり感動しないのに絵は素敵だったりする。
その絵には作者(芸術家)を一度経由したことによる篩(ふるい)がかかっているのだ。
「私の思うには、カエサルは、世界征服をして楽しもうとするには、年を取りすぎていた。そんな楽しみは、アウグストゥスとかアレクサンドロスに向いていた。彼らは、止めることがむずかしい若者だったのである。だが、カエサルはもっと大人のはずである。」(全文)
微妙に突っ込むと、カエサルの時代のローマは確かに大きかったが、世界を意識するところであったかどうか?
断章133
「個別的にはどれも笑わせない似ている二つの顔も、いっしょになると、その相似によって笑わせる」(全文)
笑うということは難しいことだよね、悲しくても笑ったりするしね。
断章134
「絵画とは、なんとむなしいものだろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは。」(全文)
逆説なのか?それとも、写真の無い時代ゆえの感慨なのだろうか?
例えば風景画の元となる原風景を見てもさっぱり感動しないのに絵は素敵だったりする。
その絵には作者(芸術家)を一度経由したことによる篩(ふるい)がかかっているのだ。