断章103、104
「アレクサンドロスの貞潔の模範は・・・」で始まる本断章103は、偉人といえどもその能力(?)が我々よりも高いのは認めてもその本質は凡夫とあまり変わらないところもあるのだと説く、「彼らの丈(たけ)が我々より高いのは、彼らの頭がわれわれより高いところにあるからなのであって、彼らの足のほうは、われわれのと同じように低いところにあるのである」だから「彼らもわれわれや、最低の者や、子供や、動物などと同じように低くなっているのである」
断章104は「われわれの情念が、われわれに何ごとかをさせるときには、われあれは自分の義務を忘れてしまう。たとえば、ある本がおもしろいと、ほかのことをしなければならないときでも、それを読んでしまう。けれども、その義務を思い起こすためには、何か自分がきらいなことをしようと思い立つことである。そうすれば、ほかにしなければいけないことがあるという言いわけをすることになり、この方法で自分の義務を思い出すようになる(全文)」
日本語的に、よくわからない断章だが、勝手に解釈すると・・・
本を読むのが楽しいので自分のやるべきこと、たとえば宿題することを忘れてしまうのならば、もっと嫌なこと、たとえば、お使いとか、マラソンとかを思い立てば良い、そうすれば、読書>宿題>マラソンなので、マラソンをしようと思い立てば、「宿題をしなければならないなぁ・・・」と自分に言いわけができるのでさらりと取りかかれるということ(なのかな?)。
ただし「読書>宿題>マラソン」のような主観的にして質的な事柄の序列をつけるのはは難しいのだよね(無差別曲線なんてのがあるよね)。
断章104は「われわれの情念が、われわれに何ごとかをさせるときには、われあれは自分の義務を忘れてしまう。たとえば、ある本がおもしろいと、ほかのことをしなければならないときでも、それを読んでしまう。けれども、その義務を思い起こすためには、何か自分がきらいなことをしようと思い立つことである。そうすれば、ほかにしなければいけないことがあるという言いわけをすることになり、この方法で自分の義務を思い出すようになる(全文)」
日本語的に、よくわからない断章だが、勝手に解釈すると・・・
本を読むのが楽しいので自分のやるべきこと、たとえば宿題することを忘れてしまうのならば、もっと嫌なこと、たとえば、お使いとか、マラソンとかを思い立てば良い、そうすれば、読書>宿題>マラソンなので、マラソンをしようと思い立てば、「宿題をしなければならないなぁ・・・」と自分に言いわけができるのでさらりと取りかかれるということ(なのかな?)。
ただし「読書>宿題>マラソン」のような主観的にして質的な事柄の序列をつけるのはは難しいのだよね(無差別曲線なんてのがあるよね)。