110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

断章80、81

 断章80は「びっこの人が、われわれをいらいらさせないのに、びっこの精神を持った人が、われわれをいらいらさせるのは、どういうわけだろう。」という問題提起からはじまる。
 そして、再びエピクテトスの言葉を引用する、それは「われわれは、人に頭が痛いでしょうと言われても怒らないのに、われわれが推理を間違っているとか、選択を間違っていると言われると怒るのはなぜだろうか」という問いだ。
 これに答えて「われわれは、頭が痛くはないということや、びっこではないということは確信しているが、われわれが真なるものを選んでいるということについては、それと同じ程度の確信は持てない。したがって、そのことについての確信は、われわれがそれをわれわれの全力で見ているということ以外に根拠がないのであるから、他の人がその全力で正反対のことを見るならば、われわれは宙に迷わされ、困惑させられる。まして千人もの人たちがわれわれの選択をあざける場合は、なおさらのことである。なぜなら、こうなるとわれわれは、われわれの理性の光のほうを、かくも多くの人たちの光よりも優先させなければならないことになるが、それは大胆で困難なことであるからである。びっこに関する感覚については、このような矛盾が決してない。」
 ・・・なるほど!!

 形而上的なことや信仰ついては、ある意味、信ずるしかないだろう。
 また、あまりに長い時間が必要な事象(例えば、今度の震災の復興債の償還など)に関する意思決定も、統計的な手法を駆使するが確実に当たるわけではない。
 そのようなことを考えると、本断章の「びっこ問題」はなかなか感じ入るところがある。

 パスカル自身は啓治を受けたようだが、果たして、その感覚を上手く言葉で伝えられるだろうか、その努力の現われが本作(パンセ)なのではなかろうか?

 断章81
 「精神は自然に信じ、意志は自然に愛する。したがって、両者とも真の対象がなければ、誤った対象に執着せざるをえない」(全文)
 
 人というものの性質であろうか?
 短いようで長い人生行路なのだが、何故かあまり高尚な事に時間を使っていない、もう少し、何かひとつごとに集中していれば、少しはましな過去だったのではなかろうかと、少し反省する。
 この中途半端さが、一流の人間と私との超えがたい差。