110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

断章52~56

 断章52「宮廷人でない人たちでなければ、宮廷人という言葉は使わない。衒学者でなければ、衒学者、田舎者でなければ、田舎者という言葉は使わない。だから、『田舎人への手紙』にそういう題をつけたのは、印刷人であるということに、私は賭けてもいい」

 これは、少しくらくらする文章なのだが、私見では「宮廷人でない人たちでなければ、宮廷人という言葉は使わない」と同様に「衒学者でない人たちでなければ、衒学者という言葉は使わない」そして「田舎者でない人たちでなければ、田舎者という言葉は使わない」と解釈したほうが良さそうだ。
 また、『田舎人への手紙』とは、パスカル自らの書簡のこと。
 パスカルは(自称)印刷人なのか、それとも、この題名は、印刷人が(勝手に)付けたということか、なんとなく後者のような感じがする。

 断章53は、故意かどうかにより同じ事象が違って解釈されることをほのめかしている様だ。
 「倒れた馬車」と「転覆させられた馬車」や、「こぼす」と「注ぐ」と、事例をあげているが、これは故意(性)により異なる解釈となる。
 しかし、最後の「強制されてなった修道士に関するル・メートル氏の弁論」は、お手上げ。

 断章54は、まさに断章「雑。話し方。私はそれに専念しようと思ったのですが」(全文)
 禅問答のようにかみ締めてみると、何かの意味が現れそうだが・・・・

 断章55「鍵の開扉力。鉤の牽引力」(全文)

 断章56は「察すること」と始まり、「ご心痛、お察し申し上げます」と続く、さらに「枢機卿殿は、人から心中を察しられるのを好まなかった」となる。
 なんとなく「心」もしくは「精神」に関心があるのだろうか?
 その後に、「私は不安に満ちた精神を持っている」よりも「私は不安に満ちている」のほうが良いとしている。
 
 「精神」は不安に満ちない、「私」が不安に満ちるのだと解釈すべきだろうか。