110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

断章73、74

 断章73は、少しやっかいだ。
 前半は「しかし、この問題はおそらく理性の範囲を越えているだろう。・・・」と始まる、「この問題」には様々な言葉が入りそうだが、簡単に解答できるものではないだろう、だから「理性の考えだしたことを、その力に応じた事物について検討してみよう」それは「最高善の探求についてである」なるほど、哲学のいや人間の究極の望みであり境地だ。
 その解答とは「徳」「快楽」「自然」「真理」「無知」「無感覚」「外観に抵抗する(?)」「何事にも驚嘆しない」「平静」「懐疑」「絶えざる判断中止」そして「最高善を見いだすことはできない」・・・「これでわれわれはもううんざりである」然り。

 後半は霊魂についての記述だが、ここは各断章への参照になっている、299、395、399などが該当するようだが、どうも結論としては「霊魂でさえ、自分の弱い光にとっては尊すぎる問題であろうか」だから「それならば物質まで下げるとしよう」その「物体が、何によってできているかどうか調べてみよう」・・・素粒子?しかるに、その素粒子とは何か?・・・についての問題定義は、現代の自然科学ではタブーである。
 だから「何も知らないものはないという、かの偉大な独断論者たちは、そのことについて、いったい何を知ったのであろう」
 「もしも理性が理性的であったならば、これだけでたしかに十分であろう。理性は、まだ何も確実なものは見いだしえなかったということを告白する程度にだけには理性的である。しかし理性は、確実なものに到着することをあきらめない。それどころか、今までにかつてないほどにこの探求に熱心であり、自分のうちにこの征服に必要な力を持っていると確信している。
 それであるから、理性に止めをささなければならない。すなわち、その力を結果において検討した後に、その力自身のうちにおいて観察しよう。理性が真理を把握するに足るなんらかの力と手がかりとを持っているかどうか見ることにしよう」
 ・・・現代社会への予言のようにも思えてくる。

 断章74
 人間的学問と哲学との愚かさについての手紙。
 この手紙を「気ばらし」の前に。
 <・・・うる者は幸福である>
 <何事にも驚かないことこそ幸福である>
 モンテーニュのなかの二百八十種の最高善。
 (全文)
 例えば、最高善という定義であれば、それは、一つであると考えても良いだろう。
 でも、モンテーニュは、様々なものを最高善だとする、そんなのはインチキだ・・・ということでしょう。
 断章73との微妙な関係。