断章68、69
断章68は難しい、「人々は真人間になることは教えられないで、それ以外のことをみな教え込まれる」
この「真人間」とは「オネットム」ということで、これは、普遍的なとされる人間なのだが、残念ながら全てを把握する能力はないので、様々な事を広く浅く全てにわたって知っているほうが、狭く深く知るよりは善いとするもの。
しかし、このあとは禅問答だ「そして人々は、それ以外のことについて何か知っていることについては、真人間であることについて得意がるほどには得意がらない。彼らが知っているといって得意がるのは、彼らが教えられたことのない、ただ一つのことについてだけである。」
「真人間になることは教えられない」ということは、これが、ただ一つのことであろうか?
それが、人々の「誤解・錯覚・傲慢・・・等々」によるものなのだろうか?
断章69は好きだな、「あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。」(全文)。
この断章のある第二章は、繰り返しになるが「神なき人間の惨めさ」なので、この断章は、読書についてだけ書かれているとは思えないのだけれども、どう読んでも、読書の仕方に読めてしまう、しかも、そのとおりだ。
この断章には、おまけがついていてこちらも善いのだ。
断章69の2
「二つの無限。中間。
あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。」(全文)
後半は、断章69と全く同じ、ただし、最初の「二つの無限。中間。」は善いなぁ。
独断だが、「二つの無限」とは、極小の無限と極大の無限を指しているように思う。
そして「中間」とは、有限性の中で、上記の無限を意識しつつ、無限を会得できずに漂うもの、そう人間のことを指すのではないかな?
この「真人間」とは「オネットム」ということで、これは、普遍的なとされる人間なのだが、残念ながら全てを把握する能力はないので、様々な事を広く浅く全てにわたって知っているほうが、狭く深く知るよりは善いとするもの。
しかし、このあとは禅問答だ「そして人々は、それ以外のことについて何か知っていることについては、真人間であることについて得意がるほどには得意がらない。彼らが知っているといって得意がるのは、彼らが教えられたことのない、ただ一つのことについてだけである。」
「真人間になることは教えられない」ということは、これが、ただ一つのことであろうか?
それが、人々の「誤解・錯覚・傲慢・・・等々」によるものなのだろうか?
断章69は好きだな、「あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。」(全文)。
この断章のある第二章は、繰り返しになるが「神なき人間の惨めさ」なので、この断章は、読書についてだけ書かれているとは思えないのだけれども、どう読んでも、読書の仕方に読めてしまう、しかも、そのとおりだ。
この断章には、おまけがついていてこちらも善いのだ。
断章69の2
「二つの無限。中間。
あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。」(全文)
後半は、断章69と全く同じ、ただし、最初の「二つの無限。中間。」は善いなぁ。
独断だが、「二つの無限」とは、極小の無限と極大の無限を指しているように思う。
そして「中間」とは、有限性の中で、上記の無限を意識しつつ、無限を会得できずに漂うもの、そう人間のことを指すのではないかな?