110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

反骨(鎌田慧著)

 本書は講談社1989年刊行のもの、私は講談社文庫版で読む。

 本書はもしかすると今読まれる本かもしれない、著者は、反骨するもの、鈴木東民の生涯を書いた。
 その余りにも進んだ足取りが、当時の人々に理解されないことにより、著者も「無念」であったのではないかという生涯をすごしたのだ。
 しかし、ドイツ駐在中に、その当時のナチスの台頭を胡散臭いものとして批判したり、釜石市長として、企業城下町の未来を、すなわち製鉄所の閉鎖を念頭に、市政を組み立てたりすることなどは、その当時に暮らす人々にとっては、余りにも遠い未来のことであった。
 死に直面してこんな言葉を残している、1979年のことだ
 釜石がこんにち、合理化問題で騒ぐことはないと思う。合理化問題が起こるだろうことは、釜石市民は百も承知であった、あったと思うのであります。釜石製鉄所が早晩、資源不足で、経営がいきづまるであろうことは、予期されたことであって、釜石鉱山の創業当時、すでにこのことが予想されておったものであります。
 だから、釜石製鉄所は、経営がいきづまらないうちに、資源の不足を補う方法を別に講ずるべきであった。そして釜石市民は、釜鉄を相手にせず、市民の自力によって、市の資源を更正していくべきことを、考えなければならなかった、と思うのであります・・・
 
 それは、人間の弱みと言えば仕方がないのかもしれない。しかし、現在を少しでも有利に暮らすために、未来を犠牲にすること、それは、いつかやってくる「清算の日」に浅はかな考えを悔やむと言うことだけでは済まされないのではないだろうか。

 文庫版の刊行年度は1992年、解説を読んでも、鈴木東民について余り好印象では内容に思う。
 それは、未だ、国に余裕のある時期だったからではないかと怪しんでいる。
 しかし、およそ20年後の現在では、その先見性が評価されても良いのではないだろうかと思うのだ。

 中央におんぶにだっこが一般的だった地方都市の中、赤字に陥っていた釜石市を、自主再建しようという政策を実行した、東民について、そして、その失敗について、もう一度注目されてもよさそうだ。
 そして、あいも変わらず同じことを繰り返している事に、ため息をついてみることにしよう。。

 そんな中、賛否両立の中で奮闘する、橋本徹という人を思い出しながら、この人がなんらかの結果(成功・失敗を問わず)を出してほしいなどと、期待を掛けてしまうのだ。