110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

子どもの本を読む(河合隼雄著)

 本書は1990年楡出版刊行のもの、私は講談社+α文庫版で読む。

 子ども向けの本を甘く見てはいけない、大人にも貴重な経験を与えるような良書(問題書?)がある、そのうちの何冊かを著者の独断の解釈で記したものが本書だ。
 20年前以上も前の本だから「家庭内暴力」という言葉がでてきてその古さは感じつつも、ユング系心理学者である著者がどんな解釈をするのかに興味があった。

 人間のうちにはある得体の知れないものがあり子どもではうまく制御できないものであり、それを周りの人々との関係性の中で解消していく過程が必要なのだというのだが、それがうまく為されない時に(先ほどの)「家庭内暴力」などという終局につながるわけだ(最近、他人を殺しちゃった女子大生もいるよね)。
 それではその解消はどうすれば良いのか?これは難しい問題だという。
 絶対的な答えがないのがこの世の中なのだが、そこに回答を求めてしまうと極端な行動や思想に陥ってしまう。
 そうならないためには、悲しいことかもしれないが、絶対的なものは無いということすなわち良い意味で「諦める」ことが大事であり、それが他者を認めていくことにつながるという。
 その明め(あきらめ)の時期が子どもの時代(時間)であり、子どもの本に見受けられる非論理性なども逆にその過程として現れてくるものだということもできそうだ。

 などという能書きはまぁ良いとして、子どもの本を読むのはたやすいかもしれないが、書くのは難しいだろう、子どもの目線でものを解釈すること、しかし、大人の陥る間違ったことは指摘しなければならない
 もしかすると、大人は耳の痛くなるようなことが書いてあると否定したりはぐらかしたりするかも知れない。
 さらに面倒ならば、ゲームやスマホを与えてやれば一見家庭内は平穏にすることもできるだろう。
 それらは、一時の気晴らしには麻薬的な効果がある。
 しかし、人間のもつ得体の知れないものを解消せずに大人になったとして、その人はどうなるんだろうか?

 実は、私はいまも絶対的なものがあると信じている節があるのだ(実存主義なんて言葉を今も使うでしょ)。
 そういう私は危険人物なのかな?

 ちなみに、
 宗教、それも一神教を考えるとなにやら妄想がわいてくる。
 神は絶対者だと短絡的に考えてみる。
 そうすると、最近取り沙汰されたイスラム国は絶対的なものを根拠に他人を殺しているようにも見える。
 でも、キリスト教で悪名高い十字軍はどうだったのか?
 さらに、天皇制はどうだったのか?

 神は人を殺すのか?
 しかし、神は人を死するな!

 墨子は一人の人を殺すことは罪なのに戦争で多数の人を殺すと英雄になるのはおかしいと問題定義をした。
 その墨子専守防衛の思想のために努力したことで最強の軍隊を作り上げた。

 人間の世界というやつは・・・・。

 なにか疲れたからやめよう。
 多分、これらの議論は哲学的な問題に帰着して考えることができるだろう。
 ただし、それはギリシャの時代から現在まで未解決の問題だ。