110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

荘子物語(諸橋轍次著)

 本書は講談社学術文庫版で読む。

 本編は読みやすいのであるところまではすいすいと読み進んだのだが、巻末の引用原文を見ると白文ではなく読み下し文でありながら全然わからないので本文と照合しながら再び読むということになった、曰く、粗忽者には最適な構成だ。

 老荘思想にはいつも惹かれるものがあるのだ、が、今回、妙な思いが浮かんできた。 
 この思想は、自然に適合して中道に暮らすという考え方のようだが、これは、厳しい修練を積んだ上でそれらの成果を捨て去るということなのだろうか、ということは、普通一般の人には到底到達することさえできない境地であるようにも思える、念仏を唱えれば救われるということではなさそうだ、仏教でいえば大乗ではなく小乗の類だろう。

 それでは、そこに至れない人々はどうするのだ?

 残された書き物は読めたとして、一度、知識の頂点まで行き着いてそれを捨てる人はどれくらい居るのか?

 意外と実践としては難しいものがあるのではないだろうか。