110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

武藤貴也を多少弁護しても良いように思うが

 武藤議員を鬼か悪魔かのごとく糾弾しているようだが、もう少し冷静に見ても良いのではないか?
 ちなみに、このブログでは、安保法案は違憲につき反対の姿勢だということは強調しておく。
 さらに、自民党は今のところ嫌いだ。

 今回善とされる「SEALDs」なるサイトを見てみよう。
 こうある「私たちは、立憲主義を尊重する政治を求めます。立憲主義とは、私たちの自由や権利を保障する憲法に基づいて政治を行う考え方です。国家権力の暴走によって個人の自由や権利が奪われることがないように、憲法によって政府の権力を制限する考え方でもあります。立憲主義は、自由で民主的な近代国家に不可欠な要素です。日本をふくめ、多くの民主主義国家の憲法はこの立憲主義に基づいています。」
 私たちの自由や権利を国家に保証させるには、その権利を守るためには国家の成員である国民をその脅威に対する間は制約する必要がある。
 もし、どこかの国に攻められたりテロにあったらその脅威を排除するためには一時的に、国民の自由は制限されねばならないのではないか?
 すなわち彼らの言いたいのは「立憲主義」という神が存在するならばそれでよいということなのだ。
 すなわち、何か紛争が起きれば、神が裁定してくれるのだ。
 しかし、神はいないのではないのか、それは国連とかアメリカとか言うものなのだろうか?
 ちなみに、20世紀以降は一般的に神はいないはずだ!
 また、彼らの定義の「立憲主義とは、私たちの自由や権利を保障する憲法に基づいて政治を行う考え方です。」はおかしい、本当はこうだろう「立憲主義とは、憲法に基づいて政治を行う考え方です。」
 なんか変な言葉を挿入して夢のような理想を掲げている様に見える、安保法案での3つの要件を取り入れれば合憲みたいな議論より程度は低い。
 
 だから、武藤氏の「戦争したくないなら国会周辺ではなく領海侵犯を繰り返す中国大使館前やミサイル実験を繰り返す北朝鮮朝鮮総連前で反戦の訴えをすべきだ。法案を阻止しても、国会前で叫んでも、中国や北朝鮮の行動は変えられない。」これは正論だ、神にすがってお題目を唱えてもしょうがないだろう。
 さっそく、安保法案反対とともに、戦争反対のデモも合わせて行うべきだ、私は安保法案反対運動を否定はしないが、それよりも平和運動の方が彼らの趣旨には叶っているはずだ。

 私は、たぶん狂っているのかもしれない、なぜTVでかくも「SEALDs」を取り上げるのか分からなくなってしまった。
 TVで識者が武藤氏を名指しで糾弾するばかりなのかも理解ができない、なぜ、誰も反論しないのだ。
 どちらの側の議論にも「穴」が空いている。