110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

重要な判例になるかもしれない

 私もあなたも、介護者になったり被介護者になったりする。
 しかも、自分が、認知症になったり、認知症の介護をすることになる可能性もある。
 これは、誰にも起こりえる事件に関する判例だ。
 認知症者の介護の厳しさを知れば、単なる利害だけで判断するべきではないと思うのだ。
 介護保険制度などは、ある意味、家族とか家という制度から個人へと対象を変える目的があったと思うのだが、実情は、旧来の家族や家がなんやかやと無償の奉仕を続けているように思う。
 それで、医療費や社会保障費が財政の大きな負担要素だという、しかし、埋没している費用を含めていくらなのか試算しても良いのではないか?
 意外と大きな金額が計上されていないのではないか?

認知症で徘徊中に事故 家族の監督責任は…
日本テレビ系(NNN) 2月2日(火)17時5分配信
 認知症患者が徘徊(はいかい)中に起こした事故を巡り、介護をしていた家族に監督責任があるかどうかが争われた裁判で、2日、最高裁は当事者双方の意見を聞く弁論を開いた。
 この裁判は2007年、愛知県大府市認知症男性(91)が、妻がうたた寝をした隙に自宅を出て徘徊し、JR東海の電車にはねられ死亡した事故を巡り争われているもの。
 JR東海側は、電車が遅れた振り替え輸送の費用など、男性の妻(当時85歳)と長男に賠償の支払いを求めていた。1審は妻と長男の責任を認めたが、2審は妻についてだけ監督責任を認め、約360万円の支払いを命じていた。
 2日、最高裁で開かれた弁論で遺族側は「認知症患者を閉じ込めるしかなくなってしまう。不当な判決だ」と主張。一方、JR東海側は「妻だけでなく介護方針を決めていた長男も、監督責任を負うべきだ」と主張した。
 判決は来月1日に言い渡される予定で、最高裁は2審判決を見直し、認知症患者の監督責任について初めての判断を示す見通し。

 もし、認知症患者に対する「家族の」監督責任が認められるならば、上記の意見のように認知症患者は閉じ込めることを容認することになる。
 閉じ込めるとはどういう意味をしめすことになるのだろうか?
 例えば、生きながらして殺す(始終薬で眠らせておく)とか?