110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

中村紘子さんが亡くなる

 以前は、日本人は体格的に外国人に比べて劣っているという理屈が通っていた時がある。
 中村さんは手が小さいかったのだ。
 オクターブに届かなかったということを聞いた覚えがある。
 でもその欠点を克服して世界的なピアニストになった。
 また、彼女のエッセイも気が利いていて楽しませてくれた。
 惜しい人を亡くしたものだ。
 ご冥福をお祈りいたします。
 (しかし、このところ立て続けだ)

ピアニストの中村紘子さん死去
産経新聞 7月29日(金)0時16分配信
ショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞し、世界各国のピアノコンクールの審査員も歴任した世界的ピアニスト、中村紘子(なかむら・ひろこ、本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日に大腸がんのため死去していたことが28日、分かった。72歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は夫で作家、庄司薫(しょうじ・かおる=本名・福田章二)氏。
山梨県生まれ、東京・世田谷育ち。指揮者の小澤征爾さんらを輩出した桐朋学園「子供のための音楽教室」で幼児期から学んだ。慶応義塾中等部在学中の昭和34年に日本音楽コンクールで史上最年少で第1位特賞を受賞し、翌35年にはNHK交響楽団初の演奏旅行のソリストに起用された。その後、米ニューヨークのジュリアード音楽院に留学。1965年の第7回ショパンショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞した。
チャイコフスキー国際音楽コンクールショパン・コンクールなど数多くの国際コンクールの審査員も歴任。その体験に基づく著書「チャイコフスキー・コンクール」は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
後進の指導にも情熱を注ぎ、平成8年から「浜松国際ピアノアカデミー」を開催。一方、大腸がんの治療のために、平成27年2月から音楽活動を休止したが、同年3月にはステージに復帰。その後は闘病生活を送り、活動休止と復帰を繰り返しながら公演にも励んだ。
今年4月には「日本パデレフスキ協会」の副会長の就任会見で元気な姿を見せていた。
20年に紫綬褒章を受章したほか、国内外での受賞多数。著書に文芸春秋読者賞を受賞した「ピアニストという蛮族がいる」「コンクールでお会いしましょう~名演に飽きた時代の原点~」など。