110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

日本語録(保田與重郎著)

 本書は昭和17年刊行のもの。
 
 今は無いのだがBookOffの目白のお店に古い本がいくつかならんだ事があった。
 その時に、読めるかもしれないと思って手にした一冊、105円と値札が貼ってあるが、売値は1.03円(税込み)なので単純比較で100倍くらいの値段で手にしたわけだ。
 さて問題はその内容だが、私は天皇の崇拝、そして、その上での戦争の肯定のように読めた。
 Wikiで調べると、「大東亜戦争を「正当化」したとされ、戦線の拡大を扇動する論陣を張る(論者によって捉え方が異なる)。1948年(昭和23年)、公職追放。」とある。
 しかし、その反面「橋川文三『日本浪曼派批判序説』では、保田の作風はデスペレートな(絶望的な)諦観に貫かれており、それが古典の学識に彩られており、ファシズム的な、あるいはナチズム的な能動的な高揚感ではなく、死を背後に担った悲壮感を漂わせていたとのことであり、それが、特攻を企画した軍への反感とあいまって、戦意高揚に資したと戦後批判されることになったとされる。(Wikiより)」すなわち、天皇を絶対としそのためには死を持ってしても是とする立場が、天皇が企図した戦争のための手段としての特攻を認めたことに対しての批判が集まったということのようだ。
 本書で典型的に取り扱われたのが楠木正成でありそういう面が極端化すると危険な面も出てくるだろうし、私も本書にはそういう印象を受けた。
 しかし、現在の平和な状況から批判すれば本書は戦争を賞揚した本の様に見えてしまうが、例えば、その当時の社会状況で生活していたらどうなのか?
 歴史はある意味その出来事を振り返って、反省することで客観的に理解できるものではないだろうか?
 彼の著作を今時わざわざ読む酔狂は私ぐらいだろうし、また、読んでも戦争の肯定しか読み取れない(当然そういうふうに読み取れる本しか戦時中は出版されない)けれども、それは現在も同じで、私たちは意識するとしないとにかかわらず、現在の社会の状況を反映して著作をしている、それは戦時中とは違い一見自由度は高まっているはずだし、著者も悪気があって書いてはいないはずなのだが、時代が過ぎて振り返ってみたときに、あの著作の内容は間違っているまたは悪だという烙印を押される可能性はゼロではない。
 それは、繰り返すようだが、たった今、現在の評価は未来にならなければわからないということなのだと思う。
 経済学を専門家の立場で語ることはできないが、例えば、ケインズという人の理論(理屈)を肯定するかどうかは時代ごとに様変わりしている。
 同様に、マルクス社会主義)の評価も同様に変わってきたのでは無いかと思う。
 このような事例はたくさん見受けられる。 
 
 移ろいゆくものにたいして人間は無力ではある。