110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ヨーロッパ・対・非ヨーロッパ(飯塚浩二著)

 本書は岩波書店1971年第1刷のもの、私は1976年第4刷版で読む。

 もう読む人も少なくなっている作品だと思うのだが、それにしても読むたびに考えさせられることがある。
 著者は、この本を書き上げその後程なくして亡くなったのだ。
 だから、この後には何も無い、いや、生きている人がその後をつなげるかどうかだ。

 古い論考だから意味が無いと即断せず、興味があったら読んで見てほしい。
 本書の中で「アメリカ文化とヨーロッパ文化」という1章があるのだが、ここで「英国にとってそうであったのは、それが世界の覇者であることになれた自己の存立の基礎そのものを疑うことを意味したからであり、"Suoeriority"が実は"Superiority complex"に過ぎないことの発見を意味したかも知れなかったからである。」という一節がある。
 第一次世界大戦後の英国が、その経済規模でアメリカに追い抜かれたことを受けて書かれたところだ。
 本書が出た当時、日本は第二次世界大戦のダメージから抜け出て日の出の勢いの状況であったと思う。
 だから、ヨーロッパ中心主義からもっと広い世界観をもって判断するべきであるという趣旨が伺えるのだ。
 しかし、この英国についての一節は、皮肉にも、現在の日本あてはまらないだろうか?
 20世紀は、ロケーション的には極東であった日本がアジアの代名詞のように見えた時期が確かにあったと思う。
 しかし、アジアももっと広いのだ、経済の欽慕としては中国に抜かれ、アジア諸国自体も、それぞれが成長してきている。
 日本はかつて"Suoeriority"であったかのかもしれない、しかし、今は"Superiority complex"に陥ってしまっていないか?
 冷静に考えて見る必要はありそうだ。