110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

要介護1といっても

 私の母親の介護認定では「要介護1」なのだが、果たしてそうなのだろうか?
 現状について記しておこうかと思った。
 なにより、それは、最近感覚が麻痺したかのように取り上げられない「財政赤字」と「家庭」という小さい単位からも関連しているのではないかとふと思ったからだ。

 昨年は「要介護2」だったのが、入院、手術をして、寝たきり状況になったために前より足元がおぼつかなくなったので、再認定を申請したが、現状維持の「要介護2」であった。
 そして、今年、更新ということで、認定を受けたところ「要介護1」になった。
 ずっと、介護を続けている者としては、前より、状況が悪くなっているのに、介護度が下がったというイメージを持っている。
 ちなみに、この介護度というのは、同居者(介護人)がいると異なるということである。

 さて、私の母親だが、骨粗しょう症のおかげで右足が不自由だ、入院後は足腰の筋肉が衰えたので更にひどくなり、まぁ、トイレに行く時ぐらいしか歩かない。
 それも、歩行器を利用している。

 だから、もし、彼女が一人暮らしであるならば、炊事、買い物、洗濯、掃除、あとは細かいことで、通院やディサービスの送迎など、全てにヘルパーが必要だ。
 それに付け加えて、入院、老健(施設)から戻ってくる時に、足腰が明らかに弱っているので、ポータブルトイレを購入して、夜など介護しづらい時間帯は目の前のあるポータブルトイレを利用するにした。
 ちなみに、これ、10万円くらいした。
 そして、毎日、トイレのメンテナンスしている。

 更に、最悪車椅子でもある程度の生活空間を移動できるように、彼女の部屋とトイレの間をバリアフリー(段差をなくす)にして、トイレは車椅子がそのまま入れるように改造した。
 これ、相場はわからないけれども、100万円くらいした。

 まぁ、初期費用は参考までだが、例えば、ポータブルトイレの10万円が高いか安いかはそれぞれの考え方だろうが、もし、ポータブルトイレが導入できないとすると、この被介護者は、排泄困難だということにもなるのではないか?
 たまに、間に合わない時があるだろうから、オムツを汚してしまうだろう。
 そうすると、介護者としてはそのメンテナンスが必要だし、当事者は多分凄くばつが悪くなるだろうね(この被介護者のモチベーションが下がるということがまさにお金で買えない問題なのだよね)。
 
 繰り返しになるが、費用面では、最低限、日々の炊事、買い物、そして、適宜行う、洗濯、掃除(ポータブルトイレの手入れは毎日)、通院、ディサービス(行かないという手もあるがこれはある意味介護者休息のためでもある)などには(一人暮らしならば)ヘルパーが必要になる。
 これらは、きちんと計算していないけれども、要介護1の範囲では、相当、保険適用外になり、本人(家族)の費用負担となると思う。

 もし、本当に、一人暮らしならば、施設での生活を考えねばならないかもしれないね。
 でも、施設には思った以上に対応のばらつきがあると聞いているので難しいところだ。
 評判の良い施設は、何年も待たないと入れないらしい。

 私のようなところが、珍しい例なのかどうかはわからない、家族(子供)が同居していても介護を嫌がるところもあると聞いている、それでも、最低限のところは手伝っていることだろう。

 そういう費用は、当然高齢者の社会保障負担金額には入らない。
 そして、我が家のようなところでも要介護度が下がっているという状況がある。
 すなわち、相当のお金が名もない介護者のおかげで節約されている可能性が高いというわけだ。
 
 そして、戦後の世代が後期高齢者に入るのが2020年だというわけだ・・・さて、いかなることになるか?

 はっきり言えば、お役所的な認可をやめて、自由競争にしていくことが必要だと思う。
 施設の認可要件などを厳重にするよりも、そこにいる高齢者へのケアが結果的に充実していればよいという発想の転換だ。
 入所者×人に対して、介護者○人みたいな細かい規定ではなくて、介護者が少なくても、例えば最近のAIやロボットを活用して面倒が見れるのならば結果としてOKというようなことだ。
 (逆に不都合なら、民事訴訟という形だろうね)
 あとは、隣近所で高齢者の面倒を見合う「隣組」みたいな制度を作って、多少の費用を行政が負担するとか、民間の、それもそこにいる人たち(営利業者ではない人たち)を利用することだね。
 
 でも、できないのは、そういうことが成功すると、「お役所は何をしていたのか」ということになってしまうからね。
 これは、翻って、少子化の方も同じようなジレンマに陥っているのだろうね。

 ちなみに、爆弾発言だけれども、教育費用無償化しても、大きく国民(子供達)の能力は上がらないと思うよ。
 それよりも、小学校程度から、いわゆる神童(たとえばIQが高いとか)を抜擢して、その子のお家が低所得者ならば、その生活と進学を保障してやる制度の方が現実的だよね、「飛び級」も考えてよいのではないかな。
 すでに、スポーツや芸術の世界ではあるよね。
 今は、平均値を上げることではなく、個別に突出させたいのではないのかな?