110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

Jポップで考える哲学(戸谷洋司著)

 本書は講談社文庫版。

 多分、若い人向けに哲学のようなものをまず体験してもらおうと言ういわゆる啓蒙書の類に思うのだが、著者の腰は引けているので効果のほどは未知数。

 本書では、著者の意図しないだろうところに凄い違和感を感じたのでそれを記そう。

 この本は「先生」という人と「麻衣」さんという大学生の対話で構成されている。
 以下、本書の中の一番気になった部分を引用する。
先生 ・・・ここで少しだけ日本の社会について考えてみましょう。ご存知の通り、日本は一九五〇年代から高度経済成長期と呼ばれる時期を経て、敗戦からの復興を遂げました。
麻衣 わ、歴史の授業が始まった。
先生 この間、特に敗戦直後には、経済的に復興することが社会の共通の目標であったといえます。その目標は確かなものであり、絶対的なものでした。
麻衣 つまり、当時の日本人は自分がどこに向かっているかをよく分かっていた、ということですか。
先生 その通りです。目の前に広がっている貧困は経済成長という最終目標にリアリティを与えていたはずです。
 そして、実際に経済成長は果され、目標は達成されてしまいます。しかし、それは同時に、社会のなかで共通する目標が失われた、ということでもあります。皮肉な話ですが、現在の私たちはどこにも確かな目標がない時代を生きている、ということです。

 だから、現代人特に先生や麻衣さんは「不幸」だと言っているように思えるのだ。
 その後、パスカルを取り上げ、先生は「・・・もちろん、パスカルが生きていた十七世紀と現代を同一視するのには無理があります。しかし、少なくともこの二つの時代は、社会のなかから絶対的に確かなものが失われ、何もかもが相対化していった、という点ではよく似ています・・・」と語っている。

 でも「絶対的に確かなものが失われた」のは、終戦直後の方がより「ありあり」としていたのではないのだろうか?
 別に、経済的な目標なんてなくて、終戦後の人は、生き残るために哲学なんか考えずに働いたのではないのかな?
 一部の政治家や役人はそういう目的を念頭に置いた人もあるかもしれないけれども、それは、ここに書かれたような一般の人たちの事ではないように思う。
 そして、高度成長の話を切り出せば、美談のように思えるが、少し、歴史を過去に引き伸ばせば、戦争で敗戦したから「経済的に復興する」という目的が出来たとも言えるわけで、それなら、「もう一度戦争しようか」みたいな、予想外の結論までたどり着いてしまうことになるかもしれないよね。
 現代の人は、たしかに、目標がなくて不幸なのかもしれないけれども、戦後の絶対的な不幸の方がはるかに問題だよね。
 違うのかな?
 
 私も戦後に生まれた、だから、戦争というその事柄の、本当のこと(リアリティ)は分からない。
 これが、平和ボケということなんだろうね。
 でも分からないから、下手に神話にでっちあげるようなことは避けたいよね。

 確かに、本書に上げているような哲学者について知ることは大事と思うけれども、それを独自に解釈して、いわゆる(あの)ソフィストになってはいけないと思うのだよね。

 ちなみに、パスカルの十七世紀と現代の間は幸せだったのかな?
 なにか、こんなことを書くとぼろぼろと壁がくずれ落ちるような議論になりそうだけれども・・・・