110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

本当のことを書くと

<やまゆり園>中3が作文に 人の価値、誰にも決められない
6/17(日) 9:00配信 毎日新聞
 入所者らが殺傷された相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の人々と交流があった中学3年の男子生徒(14)が、園への思いを作文につづり、「第37回全国中学生人権作文コンテスト」(法務省など主催)の中央大会で奨励賞を受けた。題名は「人の価値」。殺傷事件の被告の男は障害者の存在をなじるが、生徒は作文で「それは違う」と否定し、「相手の価値を勝手に決めず、互いに尊重しあえる社会を」と訴える。【堀和彦】
 生徒はやまゆり園の近くに住む。清掃活動や運動会を通じて利用者と交流があった。作文では、毎夏に園主催で行われていた花火大会で赤や黄色の花火を一緒に見上げたシーンを回想する。
 毎年そんな夜が僕は楽しみだった。
 だが、あの事件が起きてしまった。
 道端で園の利用者たちと交わす、何気ないあいさつ。笑顔で返す人もいれば、無言の人もいた。生徒は、利用者たちが笑って応じてくれていると感じ、作文にこう書いた。
 その人が考えていることは本人にしか分からないはずだ。それはやまゆり園の重度の障がいを持った人も同じなのではないだろうか。
 だが犯人は、返事をしないという理由で殺していった。
 本人にしか分からないことを他人が決めるのはおかしい。障がいがあるからといって「不幸しか生まない」と言うのもおかしい。
 殺傷事件から間もなく2年。やまゆり園は今、白いフェンスに囲まれ、建て替えに向けた工事が進む。生徒は入り口に立つと、かつての思い出と事件当初のつらい記憶が入り交じるという。
 花火大会でにこにこと笑っていた人、歓声を上げていた人、ボーッとしながら見上げていた人。そんな人たちの顔を僕は忘れることができない。
 みんなに価値がある。人の価値を決められる人は誰もいない。だから僕は、相手の価値を勝手に決めず、相手の価値を互いに尊重しあえる社会であってほしいと思う。
 「地元の中学生がこんなにも思ってくれていたとは」。やまゆり園の入倉かおる園長は作文を読んですぐに筆をとった。手紙に「戻った時には、また皆さんと一緒に花火を見上げたい」と書いた。
 やまゆり園は現地と横浜市内の仮移転先を拠点に小規模・分散化され、利用者は2021年度から各施設を順次、利用できるようになる見通し。
 生徒は5月、毎日新聞の取材に「みんなとふれあう機会があったからこそ、障害があっても何ら変わらないと気づくことができた。花火を楽しみにしている」と語った。

 【ことば】相模原障害者施設殺傷事件
 2016年7月26日未明、相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者が次々と刃物で刺され、入所者19人が死亡、職員3人を含む27人が重軽傷を負った。19人の殺人罪などで逮捕・起訴された元園職員の植松聖被告(28)は「障害者は生きていても意味がない」などの言動を重ね、検察側による起訴前の鑑定では、自己愛性などの複合的なパーソナリティー障害と診断された。
 「相手の価値を勝手に決めず、互いに尊重しあえる社会を」という言葉に酔ってしまったのか、瞬間的に、この殺人者を人間の枠の外に置いてしまった。
 よく考えてみよう、殺人者も何かを考えている、もしかすると、価値があるかもしれない、改心するかもしれない。
 障碍者の人に愛情を注ぐのは正しい、でも、その十分の一でも犯人に注げるかどうかが、彼の理想社会には必要なことなのではないだろうか?
 だから、私は、現在の日本の風潮(物事の白黒をあえてはっきりさせようとすることが)怖いのだ。