響け! ユーフォニアム(武田綾乃著)
本書は宝島社(宝島社文庫)。
読んだのは、
響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部へようこそ)
響け! ユーフォニアム2(北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏)
響け! ユーフォニアム3(北宇治高校吹奏楽部、最大の危機)
響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話)
響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章(前後編))
と、こんなところ。
前にも書いたけれども、本書を下本とするアニメが好きで、劇場版DVDも何回も見直したりしているのだが、ちょっと気になるところがあって、原作者はどう書いているのか知りたくなって読み始めた(と言っても、難しい本ではないのでストレスは掛からない)。
気になるところの前に、宝島社のこのシリーズは、あまり重版を重ねない方針らしく、一番初めに刊行された「響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部へようこそ)」と、現在「リズと青い鳥」という劇場版アニメの原作とされる「響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章(前後編))」が、普通に入手できるのだが、その他の本は、2015年くらいの刊行ながら現在絶版状態でプレミア価格がついているという状況に驚いた。
まぁ、紙の本も廃れていくという予想もあるようで、敢えて、在庫を抱えるよりも、きちんと売り切るという方針も「あるのかな」と思ってしまう、最終的には電子書籍オンリーでリリースすれば、リスクは最小になりそうだしね。
で、気になるところとは、劇場版(アニメの方)の「響け! ユーフォニアム(届けたいメロディ)」の、黄前久美子の姉と両親のいさかいと、田中あすかと母親とのいさかいで、子供の側から見た「自分のやりたいことをやる、後悔しない、自分で責任を取る」という考え方を一方的に支持しているところが気になった、簡単に言うと「大人は正論を言って子供にいろいろなことを押し付けるが、それは間違っている」というメッセージがひしひしと伝わってきて「本当にそうか?」と思ったのだ。
そこで、原作もそういう基調なのか知りたくて読み始めてわけだ、今回の疑問点については、主に「響け! ユーフォニアム3(北宇治高校吹奏楽部、最大の危機)」が該当する。
結論として言えることは、アニメと小説で、話は似ているのだが、原作者(武田綾乃)は微妙にぼかしているということだ。
すなわち、双方は完全に同じ作品ではないという、いたって当たり前の結論になる。
小説とアニメでは伝える目的が違うのだろう。
特に、アニメでは、面白く見せるために、画像、音声を利用し、さらに、伝える内容を先鋭化(ものごとの白黒をはっきりさせる)ことで、強いイメージを与えようとするあまり、よーく考えると危ない思想がまぎれこむことがある。
例えば、アニメでは久美子の姉が大きな影響を与える設定だが、その姉はすでに大学3年生で、どう考えても「大人」の仲間入りしているのが、過去を振り返って「分かったふりをして、大人のふりをして…」みたいな発言をする。
彼女はもう大人だ、言い訳として、子供の頃の夢である美容師を目指すにしろ、この時点で、すでに大人として責任を負うという条件で両親は納得したのではないのかな?
これを、田中あすかの事例に結び付けるのは、ちょっと違うような気もする。
演出としては面白いけれどもね、実際、小説では、全国大会の会場で久美子が姉と会う設定はない、うん、普通に考えたらおかしいよね。
こんな感じで、原作は単独で読むと、アニメほど感動しない、演奏シーンも文章なので、ものたりなく感じてしまう。
でも、比較すると、小説の方がまともだと思う、それぞれの事件も意外と淡白に流れてしまうけれども、実際はそんなもんだよね。
北宇治が全国行けたのも、ちょっとした幸運があったからというのが原作には書かれていて、ちょっとした現実感が見えるんだよね。
ただし、響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章(前後編))」は、作者がアニメでの成功に影響されたのか、感心しない。
久美子が何でも解決できるスーパーウーマンの役に抜擢してしまったのは、何か相当に煮詰まってしまった結果だろうか?
ちなみに、第三楽章で全国へ行って金賞のシナリオは、今のメンバーが大化けしたり、相当有能な助っ人が現れれば可能だろうが、可能性は低いはず、アニメにありがちなスーパーサイヤ人的な展開は止めてほしい。
読んだのは、
響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部へようこそ)
響け! ユーフォニアム2(北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏)
響け! ユーフォニアム3(北宇治高校吹奏楽部、最大の危機)
響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話)
響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章(前後編))
と、こんなところ。
前にも書いたけれども、本書を下本とするアニメが好きで、劇場版DVDも何回も見直したりしているのだが、ちょっと気になるところがあって、原作者はどう書いているのか知りたくなって読み始めた(と言っても、難しい本ではないのでストレスは掛からない)。
気になるところの前に、宝島社のこのシリーズは、あまり重版を重ねない方針らしく、一番初めに刊行された「響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部へようこそ)」と、現在「リズと青い鳥」という劇場版アニメの原作とされる「響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章(前後編))」が、普通に入手できるのだが、その他の本は、2015年くらいの刊行ながら現在絶版状態でプレミア価格がついているという状況に驚いた。
まぁ、紙の本も廃れていくという予想もあるようで、敢えて、在庫を抱えるよりも、きちんと売り切るという方針も「あるのかな」と思ってしまう、最終的には電子書籍オンリーでリリースすれば、リスクは最小になりそうだしね。
で、気になるところとは、劇場版(アニメの方)の「響け! ユーフォニアム(届けたいメロディ)」の、黄前久美子の姉と両親のいさかいと、田中あすかと母親とのいさかいで、子供の側から見た「自分のやりたいことをやる、後悔しない、自分で責任を取る」という考え方を一方的に支持しているところが気になった、簡単に言うと「大人は正論を言って子供にいろいろなことを押し付けるが、それは間違っている」というメッセージがひしひしと伝わってきて「本当にそうか?」と思ったのだ。
そこで、原作もそういう基調なのか知りたくて読み始めてわけだ、今回の疑問点については、主に「響け! ユーフォニアム3(北宇治高校吹奏楽部、最大の危機)」が該当する。
結論として言えることは、アニメと小説で、話は似ているのだが、原作者(武田綾乃)は微妙にぼかしているということだ。
すなわち、双方は完全に同じ作品ではないという、いたって当たり前の結論になる。
小説とアニメでは伝える目的が違うのだろう。
特に、アニメでは、面白く見せるために、画像、音声を利用し、さらに、伝える内容を先鋭化(ものごとの白黒をはっきりさせる)ことで、強いイメージを与えようとするあまり、よーく考えると危ない思想がまぎれこむことがある。
例えば、アニメでは久美子の姉が大きな影響を与える設定だが、その姉はすでに大学3年生で、どう考えても「大人」の仲間入りしているのが、過去を振り返って「分かったふりをして、大人のふりをして…」みたいな発言をする。
彼女はもう大人だ、言い訳として、子供の頃の夢である美容師を目指すにしろ、この時点で、すでに大人として責任を負うという条件で両親は納得したのではないのかな?
これを、田中あすかの事例に結び付けるのは、ちょっと違うような気もする。
演出としては面白いけれどもね、実際、小説では、全国大会の会場で久美子が姉と会う設定はない、うん、普通に考えたらおかしいよね。
こんな感じで、原作は単独で読むと、アニメほど感動しない、演奏シーンも文章なので、ものたりなく感じてしまう。
でも、比較すると、小説の方がまともだと思う、それぞれの事件も意外と淡白に流れてしまうけれども、実際はそんなもんだよね。
北宇治が全国行けたのも、ちょっとした幸運があったからというのが原作には書かれていて、ちょっとした現実感が見えるんだよね。
ただし、響け! ユーフォニアム(北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章(前後編))」は、作者がアニメでの成功に影響されたのか、感心しない。
久美子が何でも解決できるスーパーウーマンの役に抜擢してしまったのは、何か相当に煮詰まってしまった結果だろうか?
ちなみに、第三楽章で全国へ行って金賞のシナリオは、今のメンバーが大化けしたり、相当有能な助っ人が現れれば可能だろうが、可能性は低いはず、アニメにありがちなスーパーサイヤ人的な展開は止めてほしい。