危機の外交(東郷和彦著)
本書は角川新書2015年初版のもの。
私は、外交のことその怖さを、知らない、もしくは、知らされていないことに気づくのだ。
本書のはじめにこんな文章が出てくる「歴史問題でいま最も日本が考えねばならない難しい問題は、靖国でも慰安婦でもない。一二年の韓国大法院(最高裁)判決に端を発する徴用工問題であり…」
今、これを読んで不思議に思わない人は少ないだろう、しかし、これが2015年に書かれたものであることが不気味なのだ。
手品でお客の選んだカードがレモンの中から出てくるのがあるが、それを彷彿とさせる予言のように見えたからだ。
しかし、冷静に読み返すと、この文章は先の予言をしているわけではない。
当時、徴用工問題は、既に発生していたのだ。
そして、元外務省である著者の目には大事件として映り、他の(いわゆる幸せな人)には、見えなかったということなのだろう。
そして、今ざわついている。
逆に、そういうことで考えてしまうことがある、日本にも韓国にも時間がこの問題が顕在化するまでには時間があったわけだ。
さて、本気になってこの外交問題に取り組んだのは、日本か、韓国か、両国とも準備していたのか…?
私には、何とも言えない、ただし、このところの日本は様々なことに散漫だという感じを抱いている。
これは、外務省ではないのだが、昨今の厚労省の問題とかね。
韓国は、確かに内政としての不景気が現政権への不満になっていることは間違いないようだが、この徴用工問題が、朴政権から引き継がれていることや、昨年の、米朝会談で韓国が果たした役割を見ると、外交手腕は韓国側に軍配が上がりそうな気がするのだ。
だから、慎重に対応したほうが良いのではなかろうか、そんなことを考えた本(一節)であった。
まぁ、現在の与党の支持者やウヨクの人は、本書で、村山談話や河野談話を支持していることから、短絡的に左翼と位置付けてしまう可能性は強いと思う。
しかし、上記のような慧眼を見せつけられるのなら、嫌かもしれないけれども一読の価値はあるのではないかな?
こういう本が取り上げられないのは不思議だな、マスコミの目は節穴かな。
私は、外交のことその怖さを、知らない、もしくは、知らされていないことに気づくのだ。
本書のはじめにこんな文章が出てくる「歴史問題でいま最も日本が考えねばならない難しい問題は、靖国でも慰安婦でもない。一二年の韓国大法院(最高裁)判決に端を発する徴用工問題であり…」
今、これを読んで不思議に思わない人は少ないだろう、しかし、これが2015年に書かれたものであることが不気味なのだ。
手品でお客の選んだカードがレモンの中から出てくるのがあるが、それを彷彿とさせる予言のように見えたからだ。
しかし、冷静に読み返すと、この文章は先の予言をしているわけではない。
当時、徴用工問題は、既に発生していたのだ。
そして、元外務省である著者の目には大事件として映り、他の(いわゆる幸せな人)には、見えなかったということなのだろう。
そして、今ざわついている。
逆に、そういうことで考えてしまうことがある、日本にも韓国にも時間がこの問題が顕在化するまでには時間があったわけだ。
さて、本気になってこの外交問題に取り組んだのは、日本か、韓国か、両国とも準備していたのか…?
私には、何とも言えない、ただし、このところの日本は様々なことに散漫だという感じを抱いている。
これは、外務省ではないのだが、昨今の厚労省の問題とかね。
韓国は、確かに内政としての不景気が現政権への不満になっていることは間違いないようだが、この徴用工問題が、朴政権から引き継がれていることや、昨年の、米朝会談で韓国が果たした役割を見ると、外交手腕は韓国側に軍配が上がりそうな気がするのだ。
だから、慎重に対応したほうが良いのではなかろうか、そんなことを考えた本(一節)であった。
まぁ、現在の与党の支持者やウヨクの人は、本書で、村山談話や河野談話を支持していることから、短絡的に左翼と位置付けてしまう可能性は強いと思う。
しかし、上記のような慧眼を見せつけられるのなら、嫌かもしれないけれども一読の価値はあるのではないかな?
こういう本が取り上げられないのは不思議だな、マスコミの目は節穴かな。