意志と表象としての世界(ショーペンハウアー著)
昨年から気になっていた、ショーペンハウアーの主作を読む。
哲学史の上でショーペンハウアーは、或る意味阻害されたり、忘れられたりされているようだ、手元の「哲学入門(ヤスパース著)」でも何となく忌避しているような感じだ。
それも内容を読むと理解できる。
一つは、思想的な違いから、同世代の哲学者(特にヘーゲル)を非難している事、そして、キリスト教などの一神教を或る意味否定している事、そして、西洋文化の優位性を確信していたヨーロッパでインドなどの東洋思想の優位性を提唱した事などが上げられる。
(ヨーロッパ哲学の脈々と築いてきたものを反省する立場をとっているように思う)
そういう意味で、本書は日本的な考え方や文化に適合するものだが、やはり、国内での立場も難しい。
哲学の範囲に入れて良いのかどうか?或る意味「宗教」に近い部分があるのだ。
さて、ショーペンハウアーの考え方に(私としては)共感を持つ、とりもなおさず、仏教的な考え方に違和感の無い方なら、すんなりと受け入れられると思う。
逆に、当たり前すぎて、日本では(逆説的に)読まれないのかもしれない。
第四巻での思想の展開を読んでいたら「般若心経」を思い出した。
(要約の代わりに、ここに書いても良いのですが、皆さんご存知でしょう)
或る意味、仏教などの東洋思想(インド思想)を西洋の哲学の論理で再構成された本の様な感じがする。
さて、この後だが、
影響を受けたとされる「ニーチェ」へ行く道筋と、本作内で参照される「スピノザ」へ戻る道と、インド系の思想に行く道とがある。
いずれにせよ、面白い課題にはなりそうだ。
確かに「癖」はあるし、理論展開の飛躍もあるが、私的には、良い本だと思う。
哲学史の上でショーペンハウアーは、或る意味阻害されたり、忘れられたりされているようだ、手元の「哲学入門(ヤスパース著)」でも何となく忌避しているような感じだ。
それも内容を読むと理解できる。
一つは、思想的な違いから、同世代の哲学者(特にヘーゲル)を非難している事、そして、キリスト教などの一神教を或る意味否定している事、そして、西洋文化の優位性を確信していたヨーロッパでインドなどの東洋思想の優位性を提唱した事などが上げられる。
(ヨーロッパ哲学の脈々と築いてきたものを反省する立場をとっているように思う)
そういう意味で、本書は日本的な考え方や文化に適合するものだが、やはり、国内での立場も難しい。
哲学の範囲に入れて良いのかどうか?或る意味「宗教」に近い部分があるのだ。
さて、ショーペンハウアーの考え方に(私としては)共感を持つ、とりもなおさず、仏教的な考え方に違和感の無い方なら、すんなりと受け入れられると思う。
逆に、当たり前すぎて、日本では(逆説的に)読まれないのかもしれない。
第四巻での思想の展開を読んでいたら「般若心経」を思い出した。
(要約の代わりに、ここに書いても良いのですが、皆さんご存知でしょう)
或る意味、仏教などの東洋思想(インド思想)を西洋の哲学の論理で再構成された本の様な感じがする。
さて、この後だが、
影響を受けたとされる「ニーチェ」へ行く道筋と、本作内で参照される「スピノザ」へ戻る道と、インド系の思想に行く道とがある。
いずれにせよ、面白い課題にはなりそうだ。
確かに「癖」はあるし、理論展開の飛躍もあるが、私的には、良い本だと思う。