フッサール起源への哲学(斎藤慶典著)
哲学に興味を持ってここ何冊かの本を読んできた。
その中で、フッサールの「現象学」の入門書があればと思い探したが、なかなか見つからなかったところ、古本屋で発見したのがこの本。
冒頭から、これはフッサールの「入門書」でも「哲学的評伝」でも「専門的研究所」でも無いと書いてある。
そのフレーズを読んだ時は暗雲がよぎったが、とりあえず最後まで読めてうれしい。
さて、
自分なりにしか理解できないところだが、「現象」の「起源」はどこにあるのか?という問いかけのように思う。
そして、それは「空」や「無」の領域まで行ってしまう可能性があると言う。
その時よぎったのが仏教などの「無」の思想だ。
この点に関しては、以前、読みきれなかった、(東洋思想に強い)中村元氏の「論理の構造」などを再読してみる必要性を感じた。
「無から有が生じる」これは宇宙誕生の起源ともリンクしているように思う。
また「現在」や「今」と言った言葉が、既に「過去」に「現象している」事をあらわしているという考え方から「過去」を引きずるという考え方が生まれる。
そして、「現象する」のを見ている「私」にとって「フィクション」(夢など)と「ノンフィクション」(現実?)の「感覚の差」はあるのか?
など、いくつかの問が生まれた。
ただし、それらの「問い」には「回答」の無いものも多々あり、それに、「時間を使って考えるのか」という、本質的なの意味での「現実性」を本書では指摘していました・・・?
奥の深い世界です。
その中で、フッサールの「現象学」の入門書があればと思い探したが、なかなか見つからなかったところ、古本屋で発見したのがこの本。
冒頭から、これはフッサールの「入門書」でも「哲学的評伝」でも「専門的研究所」でも無いと書いてある。
そのフレーズを読んだ時は暗雲がよぎったが、とりあえず最後まで読めてうれしい。
さて、
自分なりにしか理解できないところだが、「現象」の「起源」はどこにあるのか?という問いかけのように思う。
そして、それは「空」や「無」の領域まで行ってしまう可能性があると言う。
その時よぎったのが仏教などの「無」の思想だ。
この点に関しては、以前、読みきれなかった、(東洋思想に強い)中村元氏の「論理の構造」などを再読してみる必要性を感じた。
「無から有が生じる」これは宇宙誕生の起源ともリンクしているように思う。
また「現在」や「今」と言った言葉が、既に「過去」に「現象している」事をあらわしているという考え方から「過去」を引きずるという考え方が生まれる。
そして、「現象する」のを見ている「私」にとって「フィクション」(夢など)と「ノンフィクション」(現実?)の「感覚の差」はあるのか?
など、いくつかの問が生まれた。
ただし、それらの「問い」には「回答」の無いものも多々あり、それに、「時間を使って考えるのか」という、本質的なの意味での「現実性」を本書では指摘していました・・・?
奥の深い世界です。