110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ラカン(フィリップ・ヒル著)

 たまには、活字だけではなく一息つきたい時もあります。

 そこで、出会ったのが本書「ラカン(beginners)」で、大きな文字と画をふんだんに使って解説してくれます。(ちくま学芸文庫にしては画期的?)
 一応、目次を
 
 序章:精神分析とは何か?
 第1章:ラカンとは何者だったか?
 第2章:言語活動は精神分析とどのように関係しているか?
 第3章:語りえぬものとしての現実界について
 第4章:享楽と現実界、症状、幻想、欲望の関係
 第5章:対象と主体
 第6章:4つの語らいについてのラカン理論
 第7章:精神の病理について、フロイトラカンの概念、あるいは健康や正常とは何であるのか/ないのか
 第8章:精神病
 第9章:女であるとはどういうことか?
 第10章:時間とトポロジー
 第11章:精神分析を受けたらどんな善いことがあるの?
 第12章:レビュー

 まず、言葉(シニフィアン)について解説がある、我々(主体)は、言葉によって影響を受けるものだということで「なるほど」と思う。しかも、その言葉はその人のイメージをきちんと伝えてくれるほど信頼のすべき媒体で無いという事もポイントになる。同じ内容の言葉(文章)を聞いても、聞き手の解釈の仕方で、いかようにも捕らえられてしまうという、言葉に対する脆弱性が指摘されている。
 更に、そのご本人が言っている言葉自体が、本来の自分の意志(欲望など)を話しているのかは「定か」ではない。
 また、ラカンの考え方では、主体(人)は生きている限り、欲望(差異を求める)により苦悩を味わうものであるとしているところも、いわゆる、仏教的な考え方に近いと思う(ショーペンハウエルも少し見直されないかな?)すなわち、人は何がしか、神経症や精神病的な要素を持ち続けるという考え方だ。

 もとより、自分の脳についてしか判らないが、随分一貫性の無い考え方をしていると思う。それは、脳というものが、ひところ流行った「右脳」「左脳」の様な、いや、更に複雑な「多様体」であるのではないかと考えているからだ、「自分は一人」だと思っているが、実は数々の「デーモン(コンピュータの用語・・・「ダイモン」と言った方が良いかも)」が、裏で動いているのだ。
 そんな事を「妄想(?)」してしまえる本です。

 簡単に読める本ですので、
 「私は常に真理を言う、しかし、すべてではない」
 の言葉にちょっと興味の或る方は立ち読みを。