110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

自由論(JSミル著)

 光文社が「古典新訳文庫」なるものを刊行している。
 古典の名作を新訳し現代文で読めるようにとの事らしい「哲学・思想」や「人文・科学」などもどんどん出していくつもりらしい、そういう意味では注目しているところでもある。

 さて、ミルという人の年譜を見ていると、まさしく英才教育の賜物の「天才」であると言える。
 その人の「自由論」だが

 本書の目的として以下の記述がある。
 「人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。」
 また、第二章の「思想と言論の自由」では、特に、反対意見を出せる状況を強調している。それは、どの様な思想も「完全」なものでは無いので、反対意見も考慮・吟味する事により、より完成度が高くなる。
 という、考えのようだ。
 そして、少数意見をその時代の主流的な考え方で押しつぶさないよう、配慮する事についても記している。
 そう、多数決もしくは大衆(意見)の問題点も指摘している。

 著者自身も「考え方(論理)は違うが」と注釈をつけながら、アダムスミスの「見えざる手」の様に、すなわち「自由競争」させることが、人類の発展に寄与するという考えだったようだ。

 さて、現代に関して考えてると、本当にミルの言うような「思想や言論の自由」は守った方が良いのかという疑問がある。
 すなわち、意見を誘導するために(いかにも)信頼の置ける情報を、故意に流す事が可能な状況になっている。
 たしかに、情報を確認する手段も私たちに多く公開されているのだから、ある意味「自己責任」で判断する、という理屈もある。
 情報を流す事が簡単になった分、その情報により「操作される」度合い(リスク)が高まった事も事実として認めないといけないだろう。
 すなわち、自分では「自由」に振舞っていながら、完全に「操作」されている状況すらあるという事だ。
 
 最後に、本書の内容とは外れるが、「自由」という事象は、独立で意味を持つのではなく「抑制(統制)」などの反対に位置するものだと言う事を考えてしまった。