110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

こどもたちに語るポストモダン(J.-F.リオタール著)

 殆どの人にとって「ポストモダン」は興味が無いことでしょう。
 また、この議論も20世紀の問題でしかないでしょう?
 たまたま「ポストモダン」という言葉が頭にこびりついてしまったので、こういう遍歴をしてきたわけです。
 その、遍歴も今回で一応の結末になるでしょう。
 なぜならば、この、リオタール氏が「ポストモダン」の提唱者だからです。

 「近代(モダニティ)とは、少なくとも二世紀前から、われわれに、政治的自由・科学・芸術・技術の拡張を欲望するようにと教えてきた。近代はわれわれにこの欲望を正当化するようにと教えてきた、なぜならこの進歩は、近代の言うところでは、専制・無知・野蛮・貧困から人類を解放するにちがいないものだから。共和制、それは市民的人間性のことだ。この進歩は、今日では発展と言うまったく恥ずべき名のもとに追求されている。だが、この約束は守られなかったのだ。・・・・」

 「この源泉から過去二世紀の、伝統主義的反動とナチズムを除いて、あらゆる政治的潮流が生まれた。政治的自由主義。経済的自由主義マルクス主義(複数)、無政府主義(複数)、第三共和制ラディカリズム、社会主義(複数)のあいだの相互の意見対立は、たとえ暴力的なものであっても、とうたつされるべき目標についての全員一致ぶりをまえにしては、殆ど問題にならなかった。自由の約束こそ、全員にとって、進歩の地平であり、その正当化だった。誰もが、人類は人類自身にとって透明であるような人間性世界市民性へとむかっていると信じ込んできた。
 これらの理想は、いわゆる先進国における一般的な意見の中では、衰退しつつある。・・・」

 この本の、解説でも「ポストモダン」とは具体的に何かは良くわからないとしています。
 良くわからないながらも、何か漠然と思うに、18世紀、19世紀ごろの「自由主義」「民主主義」などの「(或る意味)解放」運動が行き詰まっている事を示唆しているようなのだ。
 以前、富永健一氏の「近代化の理論」での近代化の定義が〇駛楴腟銑¬閏膽腟銑3鵬搬押焚宗豊す舁?腟舛4つの組み合わさったものとされていた事を考えると、両者の間では、既に「定義」の段階で異なり、比較が出来ないことがわかる。すなわち、「解放」は「民主主義」のさらに「抽象化した」概念に思う。
 ここでは、両者の評価をすることは妥当でないが、一つだけ思った事は「近代化」もしくは「近代」という言葉が、日本では、歴史的にも「一世紀」程度の「期間」なのに対して、西洋では「二世紀」(リオタールだけの考え方かもしれないが)という事。
 ここに、何かが潜んでいるような・・・気がする。

 ちなみに、「こどもたちに語る・・・」の表題を信じて読み進めたが、内容は私にとっては難しかった。