110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

うるしの話(松田権六著)

 最近、古本を読むようになり、少し楽しい事がある。
 それは、本書のように、もし正価を払うんだったら買わないだろうと思う本に、案外気楽に手が出せるからだ、それは、最近では、山川菊栄さんの著作だったり、もっと有名どころではホメロス叙事詩にもめぐり合わなかったと思う。
 そして、当然のことなながら、売れ行きの悪い本は、すぐに(新刊)市場から消える。そうすると、後から探し出すのは困難なのだ。
 だから、と言うわけでもないが、最近「大学の図書館から借りた本を返さないで卒業する・・・」という事に関して、ニュース報道があったが、ベストセラーになった本は再購入できるので、ある意味、どうでも良いと思うのだが、既に、10年以上経ち、絶版になっている様な本を持って行く事は、その本の実質購入金額以上に、大きな損失なのだ。
 いわゆる、書籍離れが最近は言われているようだが、先回の、大森荘蔵氏の著作(時間と自我)にあるように、人間は「言葉」で物事を考えているところがあるようだ、もし、書籍等を読まなくなるとすれば、その時、人間の思考ロジックは、又、違ったものになるに違いない。

 さて、今回は、前置きが長いが、「うるし」と言うものはすぐれた素材でのようだ、一度、乾いてしまえば、すぐれた耐久性をもたらしたようだ。
 「弗化水素が陶器やガラスを簡単に融かすことは、だれでも知っていると思うが、これらの器物に漆で模様を描き、これを完全に乾かしてから、弗化水素に触れさせると、漆の部分だけが侵されないで、漆以外の陶器やガラスの面はたちまち侵食されてくぼみを生ずる。」
 楽浪郡漆器の修復を松田氏が行った時にこんな発見をする。
 「まず、発掘された漆器は大部分泥水のなかに二千年間も漬かっていたのだが、それに使われた漆そのものは少しも腐っていなかった。泥をとりさると、光沢もちゃんとしている。・・・」
 漆はすぐれた材料、塗料という事も言えるでしょう。

 細かい話は、本書を読んでもらえば良いところですので、自戒のためにチェックしたところを(長引用ですが)。
 「明治以後各種の展覧会がさかんなこと開闢以来であるが、おそらく今では一年間に大小あわせて数千の展覧会が開かれているだろう。昔は三拝九拝して随喜の涙で名作品を拝見したものだが、今日では天下の国宝を何十点でも一度に見られる。また原色写真まで座右におけるし、昔の工人に比べて今の作家は、ほんとうに古典を研究し、伝統を生かす気なら、参考品には不足しないはずである。日本はおろか世界の名品までも自由にみてまわれる世の中である。しかし、あまり恵まれ過ぎるとありがたみが薄くなって、粗雑な見方をする習慣が一般についたのでないかとkも割れる。せっかくの名作優品を手にふれる好機に恵まれても、たんなる員数調べか、記憶にとどめる程度の見方しかしない。試みにその接した名作から何を学びえたかを訊ねてみても、大概の作家は作家として何もつかんでいないことが多い。作家は学者ぶった見方をする必要はない。自分の血となり肉となる見方をしてこそ、古典は意味があると思う。」

 古典といわれるものにどう接していくのかという姿勢についてと、そこにある「落し穴」について上手く説明しているように思います。