110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

連続性の哲学(パース著)

 パースと言う人は、自然科学に通暁した人です。
 彼が数学や論理学というものを利用し、プラトンの哲学を実現しようとした成果を、一般の人に伝えるために行った連続講義(1898年)の講義録です。
 専門性を極力抑えて説明しているのですが、いわゆる文系の私には、数学を利用した説明については、理解するのに厳しいものがありました。
 
 パースという人については、とても優れた自然科学者であり、現在としては珍しく、多方面についての広範な知識を持っていたようです。そもそも、哲学が多方面、自然科学、政治、経済、倫理、心理などを包括していたものが、それぞれの分野が専門性を獲得するごとに抜け落ちていった経緯を考えると、哲学するという事は、広範な学問の総合体系である(あった)という事は確かな事だと思います。それが、ある種の非常に根源的な問題、例えば「存在」や「主観と客観」などの根本的な問いかけに対する学問になったのは、ある意味、文化が複雑化したためとも言えますし、もしかすると、人類が進歩したという事でしょう。そのために、古代の哲学から比べると、担当領域が狭くなったともいえるのかもしれません。しかし、パースはそのような時代にも関わらず、総合的な哲学を目指した貴重な人物であったと言えるでしょう。

 こんな文章を引用してみよう。
 「この世でわれわれは、日常のありふれた世界に生きるささやかな生物であり、それ自体貧相で小さなものに過ぎない社会的有機体を構成するただの細胞である。われわれはどのようなささやかな仕事であれ、周囲の状況が許す範囲で自分の微力をもって遂行することのできる、人生の仕事をみつけださなければならない。われわれはそうした仕事の遂行のためにすべての力を発揮しなければならないから、それには当然理性も含まれる。しかし、すでに述べたように、そうした作業の過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも表層的で誤りやすい部分-理性-ではなくて、もっとも深く確実な部分-本能-の方である。
 とはいえ、この本能もまた発展し成長することができるのである。たしかにそれが担う決定的な重要性を考えれば、本能や感情の発展の運動は非常にゆっくりしたものであるが、それでも本能や感情の発展は理性の発展とまったく並行した形で生じる。・・・・」(第一章「哲学と実生活の営み」より)

 パースは本書の中で、J.Sミルの論理学の誤謬を指摘しつつも、その著作を認めているように、今の私たちは、その後、ゲーデルが「不完全性定理」を提唱して、数学の限界を示したり、プラトンの思想が曲解されて全体主義の考え方に利用されたりされた事をあげる事は、本書の間違った読み込み方なのだろう。
 本書は、19世紀から20世紀へ向けてのいわゆる「構造主義」や、進歩への「楽観主義」が伺える、現在としては、少し羨ましい時代の作品でもあると思う。