110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

人生論ノート(三木清著)

 「ここでこれが来るか」と思われた人はいないと思うが、思っていたら凄い目利きだと思う。
 
 最近、ハイデッガーに少し興味が出てきて、入門書を読んでいるのだけれど、本書のカバーに「ハイデッガーに師事し、・・・」とあったので興味が出た。
 本来は、哲学者らしく難解な文章を書く人らしいが、本書ではやさしく表現されている。

 さて、「死について」「幸福について」など、短い文章が23編収められているが、ここでは「旅について」という文書にそって、自分の一つの課題である「歩く」について考えてみた。

 旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。・・・或る者は実に人生から脱出する目的をもってさえ旅に上がるのである。・・・即ち旅はすべての人に多かれ少なかれ漂白の感情を抱かせるのである。解放も漂白であり、脱出も漂白である。・・・
 そうすると「漂白」とはなんだろう?

 漂白の感情は或る運動の感情であって、旅は移動であることから生ずるといわれるであろう。それは確かに或る運動の感情である。けれども我々が旅の漂白であることを身にしみて感じるのは、車に乗って動いている時ではなく、むしろ宿に落着いた時である。
 歩く事が「漂白」であると考えられそうだが、実際はそうではないようだ、この定義で行くと、わたしの場合、目的地にたどり着いて「さて、帰ろう」とする、その「到着→帰るの間」が、漂白(感)の元になるのだろう、確かに、到着まで20時間掛けようが、それは「移動」だし・・・?

 ・・・旅には旅のあわただしさがある。・・・旅はつねに遠くて、しかもつねにあわただしいものである。それだからそこに漂白の感情が湧いてくる。・・・
 確かにあわただしい。
 私の歩きの場合、目的地に到着するとほぼ「疲れきっている」、そこで、食事をしたり、おみやげを買ったりするが、心は「帰宅」に向かっている。
 だから、目的地の滞在時間は短い。
 最近は、それがわずらわしいので、目的地と家との間を「往復」したりしている、しかし、それは純粋な「旅」では無いのかもしれない。

 ・・・旅は本質的に観想的である。旅において我々はつねに見る人である。平生の実践的生活から抜け出して純粋に観想的になり得るということが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考える事ができるであろう。
 確かに観想的であることは確かだ、道を「歩く」という事は一つのところに長く滞在できないわけで、宿命的なものかもそれない。
 しかし、気になる言葉は「実践的生活」である。
 自分に関して、本当に実践的生活を送っているのか?それは、自分の「立ち位置」として新たな問題として浮かび上がってきた。

・・・旅は未知のものに引かれてゆくことである。・・・平生見慣れたものも旅においては目新しく感じられるのがつねである。・・・我々の日常生活は行動的であって到着点或いは結果にのみ関心し、その他のもの、途中のもの、過程は、既知のものの如く前提されている。
 歩く事は、この「途中のもの」に気づくことに関しては有効だと思う。
 例えば、同じ道でも、朝、昼、夕では顔つきが違う、歩いた時に撮った画像を時間を追って見ていくと、太陽の位置、気候の変化などで景色が変わる事に気づく、端的に言えば夜になれば激変する。
 外のものについてだけでなく、長く歩けば歩くほど、自分の身体も変化に気づく事もある。
 そういう感覚は養えると思う。

 ・・・いったい人生において、我々は何処に行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂白である。
 残念ながら、現在は目的地のある「歩き」をしている、これを無目的に歩くことにすれば、人生のシミュレーションになるのだろうか?

 ・・・旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。
 「歩く」のは自分の意志で止められる、しかし、自分の意志で止められない「歩き」があれば、それは「人生」のような気がする。

 旅は確かに彼を解放してくれるだろう。けれどもそれによって彼が真に自由になることができると考えるなら間違いである。
 そのとおり。

 一つの所に停まり、一つの物の中に深く入ってゆくことなしに、如何にして真に物を知ることができるであろうか。
 「歩き」だけではその地域の本当の姿を知る事はできない。
 その点では、正に「観想的」であり、これは欠点だと思う。

 旅を真に味わい得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。・・・旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。
 人生という「旅」の中で、「旅」というシミュレーションをする。
 それならば、良い旅を心がけることが大切だ。
 ちなみに、それはどういう旅であろうか?
 また、「歩き」ながら考えてみよう。