師弟問答 西田哲学(西田幾多郎、三木清著)
西田幾多郎と三木清の対話をおさめた著作。
西田哲学の入門になるかと思って読んでみる。
この頃(明治~第二次大戦終了時頃)の、日本の哲学界は意外と曲者の時期ではないかと思う。
その中心に、西田幾多郎氏が存在しており、そして、三木清、九鬼周三などが、ドイツに留学して、フッサールやハイデッガーのもとで、リアルタイムに教えを受けた時期に相当するからだ。
それは、私の読書(興味)が、この時期の思想に捕まってしまったので、あくまで、個人的な評価として「曲者」という事であるが・・・。
さて、本書は、薄い本なので読みやすく思えるが、逆に、細かい論文などは出てこないので、或る程度基本的な部分についての知識を持っているか、基礎文書を読み込んでから読んだ方がよさそうだ。
私は、その面では「失敗」した。
「実在」についての「主観」「客観」についての考え方があるが、あたたかも禅問答の様に、「主観にして客観」、そして「客観にして主観」のような言葉が出てきて、それをどの様に解釈していくのかが本書だけからは読み込めなかった。
もしかすると、仏教(哲学)などを元に考えた方が、理解しやすいのかもしれない。
しかし、三木清氏の、西田哲学に関しての、文章では、西田哲学と宗教は、明らかに区別している。
いやはや、なかなか難しいものだ。
西田哲学の入門になるかと思って読んでみる。
この頃(明治~第二次大戦終了時頃)の、日本の哲学界は意外と曲者の時期ではないかと思う。
その中心に、西田幾多郎氏が存在しており、そして、三木清、九鬼周三などが、ドイツに留学して、フッサールやハイデッガーのもとで、リアルタイムに教えを受けた時期に相当するからだ。
それは、私の読書(興味)が、この時期の思想に捕まってしまったので、あくまで、個人的な評価として「曲者」という事であるが・・・。
さて、本書は、薄い本なので読みやすく思えるが、逆に、細かい論文などは出てこないので、或る程度基本的な部分についての知識を持っているか、基礎文書を読み込んでから読んだ方がよさそうだ。
私は、その面では「失敗」した。
「実在」についての「主観」「客観」についての考え方があるが、あたたかも禅問答の様に、「主観にして客観」、そして「客観にして主観」のような言葉が出てきて、それをどの様に解釈していくのかが本書だけからは読み込めなかった。
もしかすると、仏教(哲学)などを元に考えた方が、理解しやすいのかもしれない。
しかし、三木清氏の、西田哲学に関しての、文章では、西田哲学と宗教は、明らかに区別している。
いやはや、なかなか難しいものだ。