ハイデガー『存在と時間』の構築(木田元著)
ハイデガーの「存在と時間」は未完の著作だ、その未完成の部分を、彼の大学での講義内容を元に、木田氏が構築しようとした著作。
以前、ハイデガーの「形而上学入門」を(一度)読んで見て、不明だった部分が、本書を読むことで、少し理解が深まった。
現代は、「ポストモダン」と呼ばれている、いわゆる「モダン」の時の、合理主義、そして、ある種の楽観主義がうまく機能しなくなってきているのではないか、という「不安」(そんなもの無い人もいるだろうが)により、その原因はなんなのかを探ることに力を注いでいる状況だと思う。
ハイデガーの仕事もその様な事(思想)に対しての、一つの答えを与えてくれる。
彼は、哲学の原点に近い、プラトンやアリストテレスの時代まで時代を遡り、そこで、存在(と時間)に対する「定義」を再確認する。
そこでは、プラトンやアリストテレスが「存在」の定義を(おかしな比喩かもしれないが?)「モダン化」した。
それにより、現在(当時?)の状況が発生している。
とするものだ、哲学の対象は、自分の周りの、非常にささいなモノや事が対象になる。
本書を読んで、改めて「何故、それがあるのか?」という事に、純粋に「驚く」事ができそうだ。
以前、ハイデガーの「形而上学入門」を(一度)読んで見て、不明だった部分が、本書を読むことで、少し理解が深まった。
現代は、「ポストモダン」と呼ばれている、いわゆる「モダン」の時の、合理主義、そして、ある種の楽観主義がうまく機能しなくなってきているのではないか、という「不安」(そんなもの無い人もいるだろうが)により、その原因はなんなのかを探ることに力を注いでいる状況だと思う。
ハイデガーの仕事もその様な事(思想)に対しての、一つの答えを与えてくれる。
彼は、哲学の原点に近い、プラトンやアリストテレスの時代まで時代を遡り、そこで、存在(と時間)に対する「定義」を再確認する。
そこでは、プラトンやアリストテレスが「存在」の定義を(おかしな比喩かもしれないが?)「モダン化」した。
それにより、現在(当時?)の状況が発生している。
とするものだ、哲学の対象は、自分の周りの、非常にささいなモノや事が対象になる。
本書を読んで、改めて「何故、それがあるのか?」という事に、純粋に「驚く」事ができそうだ。