つつじを見に行こう(2007年5月4日の歩き)・・・その2
さて、前回は、群馬県を渡ったところまででした。
「昭和橋」で利根川を渡るとそこは「群馬県明和町」です。
少し、歩くとどうしても、気になる表示があったので行きました。
「川俣事件衝突の地」です(物騒な名称ですね)。
いささか拍子抜けです(時代の流れでしょう)。
「昭和橋」で利根川を渡るとそこは「群馬県明和町」です。
少し、歩くとどうしても、気になる表示があったので行きました。
「川俣事件衝突の地」です(物騒な名称ですね)。
明和町指定史跡 川俣事件衝突の地
平成十一年十二月二十八日指定
所在地 明和町川俣五五八番地
所有者 水資源開発公団
足尾銅山鉱毒に苦しめられた渡良瀬川流域の農民は、明治三十三年二月十三日、鉱業停止を求め東京に向かうが、その途中、この地(橋付近)で警官隊と衝突した。これが、川俣事件である。
当時の佐貫村長や農民は、負傷した農民を真如院にて手厚く介護したということである。
平成十二年二月 明和町教育委員会
これが、どんなところかというと・・・平成十一年十二月二十八日指定
所在地 明和町川俣五五八番地
所有者 水資源開発公団
足尾銅山鉱毒に苦しめられた渡良瀬川流域の農民は、明治三十三年二月十三日、鉱業停止を求め東京に向かうが、その途中、この地(橋付近)で警官隊と衝突した。これが、川俣事件である。
当時の佐貫村長や農民は、負傷した農民を真如院にて手厚く介護したということである。
平成十二年二月 明和町教育委員会
いささか拍子抜けです(時代の流れでしょう)。
まずは、躑躅ヶ岡(つつじが岡)のご紹介(画像では読めませんので以下に引用します)
名勝 躑躅ヶ岡(躑躅)
一、指定年月日 昭和九年十二月二十八日
一、所在地 群馬県館林市花山町三二七八番地 ほか
一、指定の理由 ア、著名な公園及び庭園
イ、著名な花草、紅葉及び鳥獣虫魚の名所
一、説明
世界一とも評されているツツジの名園で、「城沼」の南岸に位置しています。館林城は、この城沼を天然の要害として築かれました。
伝説によれば、近世初代館林城主「榊原康政」がこの地にツツジを植えたのが起こりといわれていますが、それ以前の古文書に「躑躅ヶ崎」という地名が見られ、古くから野生のヤマツツジが密生していたものと考えられています。
近世の歴代城主により、手厚く保護・増植されてきましたが、明治以後、民間払い下げなどによって一時荒廃したこともありました。
その後、関係者の努力により復興し、昭和九年「名勝」に指定され、現在に至っています。
この名勝を含む園内には、樹齢八〇〇年を超えると考えられる樹高五メートルに達する古木をはじめ、約一万株のツツジが植えられています。
特にヤマツツジ系やオオヤマツツジ系、キリシマツツジ系のツツジには古木や巨樹が多く、珍しい品種も数多くあります。
ヤマツツジの巨樹群が自然のまま保存されるなど、歴史的・学術的にも貴重なもので、シーズンには、紅色や淡紅色、紫色などの花が全山燃えるように咲き誇ります。
一、保存の要件
指定時の景観や内容を維持し、在来のツツジの品種の保存に務めること。
一、文化財保護法により次の行為は禁止されています。
ア、ツツジを傷める行為(木を切ったり、枝を折ったり、花や葉を取ったりすること)
イ、保存に影響を及ぼす行為(ツツジの根元に入り込んで踏み固めたり、飲み物やゴミ等を根元に捨てたり、焚き火をしたりすること)
文化庁 群馬県教育委員会 館林市教育委員会
そして、園内の地図(ちょっと斜めから撮っています)一、指定年月日 昭和九年十二月二十八日
一、所在地 群馬県館林市花山町三二七八番地 ほか
一、指定の理由 ア、著名な公園及び庭園
イ、著名な花草、紅葉及び鳥獣虫魚の名所
一、説明
世界一とも評されているツツジの名園で、「城沼」の南岸に位置しています。館林城は、この城沼を天然の要害として築かれました。
伝説によれば、近世初代館林城主「榊原康政」がこの地にツツジを植えたのが起こりといわれていますが、それ以前の古文書に「躑躅ヶ崎」という地名が見られ、古くから野生のヤマツツジが密生していたものと考えられています。
近世の歴代城主により、手厚く保護・増植されてきましたが、明治以後、民間払い下げなどによって一時荒廃したこともありました。
その後、関係者の努力により復興し、昭和九年「名勝」に指定され、現在に至っています。
この名勝を含む園内には、樹齢八〇〇年を超えると考えられる樹高五メートルに達する古木をはじめ、約一万株のツツジが植えられています。
特にヤマツツジ系やオオヤマツツジ系、キリシマツツジ系のツツジには古木や巨樹が多く、珍しい品種も数多くあります。
ヤマツツジの巨樹群が自然のまま保存されるなど、歴史的・学術的にも貴重なもので、シーズンには、紅色や淡紅色、紫色などの花が全山燃えるように咲き誇ります。
一、保存の要件
指定時の景観や内容を維持し、在来のツツジの品種の保存に務めること。
一、文化財保護法により次の行為は禁止されています。
ア、ツツジを傷める行為(木を切ったり、枝を折ったり、花や葉を取ったりすること)
イ、保存に影響を及ぼす行為(ツツジの根元に入り込んで踏み固めたり、飲み物やゴミ等を根元に捨てたり、焚き火をしたりすること)
文化庁 群馬県教育委員会 館林市教育委員会
旧館林城主榊原家ゆかりのツツジというのがありました。
旧館林城主榊原家ゆかりのツツジ
榊原家は、徳川四天王の一人榊原康政を藩祖とし、天正18年(1590)館林城主として入封しました。以降、初代康政、二代康勝、三代忠次が約50年間館林を治め、この間館林城の整備拡張などを行い城下町館林の基礎を築きました。特に榊原家はこの躑躅ヶ岡の発祥・伝説とも深く関わり、初代康政とお辻伝説、寛永4年(1627)三代忠次の花見塚からのツツジ移植の歴史が伝えられています。
このツツジは平成6年(1994)榊原家第16代当主榊原政春氏より館林に寄付されたもので大正時代から東京の榊原家屋敷で大切に育てられてきたものです。
館林教育委員会
(大正時代のものでしたか・・・・・・・・)榊原家は、徳川四天王の一人榊原康政を藩祖とし、天正18年(1590)館林城主として入封しました。以降、初代康政、二代康勝、三代忠次が約50年間館林を治め、この間館林城の整備拡張などを行い城下町館林の基礎を築きました。特に榊原家はこの躑躅ヶ岡の発祥・伝説とも深く関わり、初代康政とお辻伝説、寛永4年(1627)三代忠次の花見塚からのツツジ移植の歴史が伝えられています。
このツツジは平成6年(1994)榊原家第16代当主榊原政春氏より館林に寄付されたもので大正時代から東京の榊原家屋敷で大切に育てられてきたものです。
館林教育委員会
今度は、樹齢800年です。
そして、
これで、
こうで、
このツツジは一本の木に2色の花が咲いているそうな・・・
花博でも受賞
勾当内侍遺愛のツツジ
このあたりのヤマツツジの巨樹は、第3代館林城主榊原(松平)忠次が、当時領内であった現在の新田郡尾島町花見塚から、ヤマツツジの名木を数百株移植したと伝えられるものです。
このツツジは建武元年(1334)に新田義貞が、妻(勾当内侍・・・こうとうのないし)のために植えていたと伝えられているもので、樹齢800年を超える日本一のヤマツツジの巨樹となっています。これが世に伝わる「勾当内侍遺愛のツツジ」といわれる名木です。
これは、素晴らしい「TV局も撮影に来た」とか出ていました。このあたりのヤマツツジの巨樹は、第3代館林城主榊原(松平)忠次が、当時領内であった現在の新田郡尾島町花見塚から、ヤマツツジの名木を数百株移植したと伝えられるものです。
このツツジは建武元年(1334)に新田義貞が、妻(勾当内侍・・・こうとうのないし)のために植えていたと伝えられているもので、樹齢800年を超える日本一のヤマツツジの巨樹となっています。これが世に伝わる「勾当内侍遺愛のツツジ」といわれる名木です。
そして、
これで、
こうで、
このツツジは一本の木に2色の花が咲いているそうな・・・
花博でも受賞
さすがに、人が多くて、歩き疲れも出たので、適当に切り上げて帰りました。
帰りは、館林駅から電車で帰ろうと思ったので、道を尋ねると、「館林市役所」付近から「鶴生田川」沿いを「つつじが岡公園」のある「城沼」まで、公園の中を通って行ける道がありました。
電車からだとこの道が素敵ですね。
丁度、帰りがけですが、「世界一こいのぼりの里まつり」を、5/13まで開催しているようです。
この「鶴生田川」がこいのぼりでいっぱいでした。
少しの時間ですが「観光」を目的に歩いたのは、今回が、初めてではないでしょうか。
いつもは、途中の歩きで「観光」している。
しかし、人が多いと疲れますね、帰りも途中まで座れなくて、体力的には、きつかったです。
おうちに帰ったら、昨日から、寝ないで歩いた事もあるのでしょうが「意識」が飛んでしまいました。
帰りは、館林駅から電車で帰ろうと思ったので、道を尋ねると、「館林市役所」付近から「鶴生田川」沿いを「つつじが岡公園」のある「城沼」まで、公園の中を通って行ける道がありました。
電車からだとこの道が素敵ですね。
丁度、帰りがけですが、「世界一こいのぼりの里まつり」を、5/13まで開催しているようです。
この「鶴生田川」がこいのぼりでいっぱいでした。
少しの時間ですが「観光」を目的に歩いたのは、今回が、初めてではないでしょうか。
いつもは、途中の歩きで「観光」している。
しかし、人が多いと疲れますね、帰りも途中まで座れなくて、体力的には、きつかったです。
おうちに帰ったら、昨日から、寝ないで歩いた事もあるのでしょうが「意識」が飛んでしまいました。