110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

西田幾多郎Ⅰ・Ⅱ(中村雄二郎著)

 中村雄二郎西田幾多郎氏についての著作を読む。
 西田氏については、浅学ながら「善の研究」について「宗教」の章があることに興味を持っていた。
 今回、中村氏とは、その読み込みの深さが大きく違うにせよ、共通の感覚を持っていることに気づいた事が、一つの発見であった。
 その西田哲学の根本概念の一つ「絶対矛盾的自己同一」などで言われている「無」とは何であろう。
 当然、禅を行っていた西田氏であるから、仏教の「空」も良くご存知のはず、しかし「無」であると言う。
 そこには「行為的直観」というような、実際の身体を通して、経験的に積上げるものが「有」るという問いかけなのだろうか?
 
 さて、話は雑談になるが、このところ、哲学や思想に関わる著作を読むようになってきたが、最近の風潮では、余りその様なものが「深刻な意味で」捕らえられていないと思う。
 それは、良いにせよ悪いにせよ「価値観の崩壊」が付きまとうようだ、最近読んでいる本は、文庫本でそれは、1960年台から1980年くらいの時期を捉えて著されたものが多い(現代の著作を購入するのには費用が掛かるという事もあるが、哲学・思想のベストセラーも思い浮かばない)、それらは、やはり第一次、第二次世界大戦などの社会的危機の影響を受けている。
 特に、日本では戦後60年以上「平和」な状態が続き、そういう「価値観崩壊」は、小さな変化としてはありえるが、大きな変化としては無いようだ、そこに、哲学の低迷があるようにも思われる。
 また、ポストモダンポスト構造主義でもそのようだが、哲学や思想が、大きな課題に対して思考(志向)することがなくなったことにもあるのかもしれない。
 そのような時に「日本の哲学」という事を真剣に考えていた人が「いた」という事は、大変貴重な事だと思う。

 ちなみに、この二冊を読む順序は、後に出版された兇らの方が良いと思った。
 兇諒?蓮海外での講演内容を中心に著されているので、言葉が易しい。