カントの時間論(中島義道著)
カントについては実は余り知らない、知らないのに、その解説書を読むという矛盾に陥っているが、「純粋理性批判」を一度投げ出した身としては、のんびり外堀を散策するのも良いのだろう。
いわゆる、私(主観)がどのように時間を捉えるのかということに関する論文だが、非常に丁寧に分かりやすく書かれている(中島氏のこの手の初学者向けの著書はとても親切だ)。
客観的な時間「年月日時分秒」のような概念は、外的な運動にて把握する、しかし、自己の外側で発生した事を、どのように内側で認識するのかは「超越論的統覚」によって仲立ちされるという事だ。
その「超越論敵統覚」とはいかなるものか?
・・・は、簡単には把握できない、要は、時間の捕らえ方が外因性を帯びている事。
そして、どうしても、無限の時間のうちの、ほんの一瞬しか生きていない人間(だけではないですね、全ての存在物)にとって、様々な矛盾を持っていることには、思いを巡らしてしまう。
本書を読んでいて、全然、別のことが頭をよぎった。
時間も運動も「滑らかに移行」するが、これはなんでなのだろうか・・・ということだ。
いわゆる、私(主観)がどのように時間を捉えるのかということに関する論文だが、非常に丁寧に分かりやすく書かれている(中島氏のこの手の初学者向けの著書はとても親切だ)。
客観的な時間「年月日時分秒」のような概念は、外的な運動にて把握する、しかし、自己の外側で発生した事を、どのように内側で認識するのかは「超越論的統覚」によって仲立ちされるという事だ。
その「超越論敵統覚」とはいかなるものか?
・・・は、簡単には把握できない、要は、時間の捕らえ方が外因性を帯びている事。
そして、どうしても、無限の時間のうちの、ほんの一瞬しか生きていない人間(だけではないですね、全ての存在物)にとって、様々な矛盾を持っていることには、思いを巡らしてしまう。
本書を読んでいて、全然、別のことが頭をよぎった。
時間も運動も「滑らかに移行」するが、これはなんでなのだろうか・・・ということだ。