110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

気流の鳴る音(真木悠介著)

 この本は1977年に発刊されたもので、内容については少し古い時代を反映しているところもある。

 しかし、この「気流の鳴る音」で取り上げられたカスタメダそしてメキシコ・インディオの話には共感できるところが多い、それは「読書」や「思想」についてではなく「歩く」についてだ。
 このブログでは、一日中、歩きとおす記録が延々とつづられている。
 数少ないコメントを頂くと、ある意味呆れていると思えるコメントがある、その時には「歩くのが好きだから」と回答している。
 「読書」も「歩く」と同じようにある種の旅だと思っている。
 それも、終わりの無い、際限の無い旅だと思う。
 同じ道を同じように歩いても、違う時季に歩けば違う感じ方があるように、同じ本も、また違う時に読めば違った感じ方があるのだ。
 ポイントは、それをやめてしまってはいけない・・・いや、やめる事とはなんだろうか、それは、やめる事のできないことなのだろう。
 もし、何か終着点があるのならば、そこに留まってしまうから、しかしながら、終着点はそのようなところには無いのだ、毎回、歩きには終着点があるが、そこはあくまで仮の終着点であって、本当の終着点は、自分でもいつかは分からないが、自覚しているある時にやってくるのだ。

 ちなみに、本書では、サンタナの「キャラバンサライ」(Eternal Caravan of Reincarnation
)が、注釈に出てきた、その懐かしさと共に、確かにあのジャケットの絵はこういう感じだなぁ・・・とつくづく思った。
 そして、ただ「歩く」原点もこんなところにあるのかなと思った。