唯識の構造(竹村牧男著)
西洋に哲学があるのならば、東洋ではどうかという疑問がある。
確かに、「哲学」は西洋文化のものである事は間違いないが、それに比べられるものは無いのか?
という事で、少し東洋思想に関して読み始めた。
それが、少し前に読んだ、中村元氏の「龍樹」であり、井筒敏彦氏の「意味の深みへ」から触発されて「唯識」について興味を持つようになった。
本書は、唯識の紹介という事だが、私にとっては「用語」など難しい面がある、しかも、ここでの解説は、あくまでガイダンスであり、これを、長い修行によって、各段階を登っていくという、気の長くなるような作業が必要だということである。
だれでも「悟り」を開ける、しかし、その為には膨大な時間と労力が必要だ。
そのような、「唯識」の実践面と凄みを覗かせてくれた本であった。
確かに、「哲学」は西洋文化のものである事は間違いないが、それに比べられるものは無いのか?
という事で、少し東洋思想に関して読み始めた。
それが、少し前に読んだ、中村元氏の「龍樹」であり、井筒敏彦氏の「意味の深みへ」から触発されて「唯識」について興味を持つようになった。
本書は、唯識の紹介という事だが、私にとっては「用語」など難しい面がある、しかも、ここでの解説は、あくまでガイダンスであり、これを、長い修行によって、各段階を登っていくという、気の長くなるような作業が必要だということである。
だれでも「悟り」を開ける、しかし、その為には膨大な時間と労力が必要だ。
そのような、「唯識」の実践面と凄みを覗かせてくれた本であった。