110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

アメリカはワクチン接種が驚愕のスピードでなされている、それに対して日本は・・・?

今日もお昼のTVを見ていると、アメリカのワクチン接種の実情を報道する番組があった。

ともすると、アメリカはこんなにワクチン接種が進んでいるのに、日本の政府は何やってんだ、みたいな意図が見え隠れしていて、最初はその思惑にはまっていた。

その放送を見ていくと、それなりに見えてきたものもあった、それは、アメリカではワクチン接種になりふり構わずに向かっているということだ。

放送でもさかんに「科学の力」と連呼していたのだが、「ワクチン」=「科学の力」という比喩なのだろうか、まぁ、日本もそういう意味では今となっては「科学の力」を最後の頼みとしているわけだ。

しかし、そのワクチン接種を促進することに対して、お金を配ったり、ドーナツを配ったり、マリファナを配ったりしているという実情を知ると、なんとなく下世話な、そう、ポイント還元や、おまけ商売といった、「欲望系」で接種を促進しているという、とても「科学的」そして「理性的」とは言えない裏側があることがわかる。

また、その「科学の力」もきちんと臨床試験はできてはいないわけで、その「科学の力」には一抹の不安があるという代物であることを、科学者であれば、まず認めるに違いない。

この放送では「自由主義」の国ではアメリカ式(ワクチンによる抑制)しかない、というように、日本の現状を踏まえて肯定的な発言をしたコメンテーターもいた、これは、中国の様に国家が行動規制をして力技で感染を抑制することを暗に批判しているようにも思えたのだが、しかし、行動規制で感染抑制した国は、中国だけではなく、自由主義の国にも多数存在する、近くでは、台湾、ニュージーランド、韓国もそこに含まれるだろう。

それらの国は、「科学の力」に対して「理性の力」を発揮したと言ってもよかろう、アメリカが「科学の力」を全面に出しつつも、その裏で人間の欲望を代償としているのと比べ、理性で抑えた国々を、あなたは、どう感じるのだろうか(私は羨ましいな)?

まぁ、残念ながら、日本は結論的に「科学の力」を頼ることになろう、相当良いところまで「理性の力」を行使できてはいたのだが、期間が長引くことで、その理性は吹き飛んでしまった。

日本の国民の大きな転機がすでに完了したと言えるだろう。