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「毒親は捨ててもいい」と介護のプロが断言する理由「関わることで破滅するくらいなら、自分の人生を優先していいんです」

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最近の少子化、未婚化傾向には、もしかすると、毒親になってしまうかもしれないという恐怖感もあるのではないだろうか?

毒親は捨ててもいい」と介護のプロが断言する理由「関わることで破滅するくらいなら、自分の人生を優先していいんです」
5/4(木) 11:12配信 文春オンライン
「親への憎しみが募る一方だったり、自分が壊れそうになっているのなら、捨てることを考えていい」

 自分を傷つけた親が老いたとき、あなたの人生はどうなってしまうのか? ここでは、要介護状態になってしまった「毒親」との付き合い方を解説。ジャーナリストの石川結貴氏の新書『 毒親介護 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
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毒親との付き合い方
 かつて自分を傷つけ苦しめた親、家庭を顧みず自分勝手に生きていた親。そんな毒親が老い、介護や経済的支援などの問題に直面する子世代は少なくない。老いてなお横暴な親に失望したり、一見弱者の親に翻弄されたりする子どもの側は、憎しみや嫌悪、ときに葛藤を覚えている。これからどうすればいいのだろう、この状態がいつまでつづくのか、そんな思いを抱えながら手探りの日々を送る人たちに、いくつかの選択肢と対応方法を挙げてみたい。
 まずは親との関係性についての選択肢、ここには大きく2つがある。「捨てる」と「関わる」だ。
 親を捨てる、別の言い方をすれば逃げるとか、縁を切ることになるだろう。世間一般からすれば「親を捨てるなんてとんでもない」と非難されるかもしれないが、捨てるという選択肢を知っておくのは大切だ。
 介護・暮らしジャーナリストで、遠距離介護を支援するNPO法人パオッコの太田差惠子理事長は、「親への憎しみが募る一方だったり、自分が壊れそうになっているのなら、捨てることを考えていい」と話す。
「親孝行は美談で語られがちです。介護は人を成長させる、つらいことがあっても乗り越えられる、そんな声は多いし、確かにそれも事実でしょう。けれども現実に、今まさに毒親に苦しんでいる人にとってはきれいごとに聞こえるかもしれません。そんなきれいごとを拠りどころにしてがんばれというのは酷だし、どうしようもなくつらいのなら捨てるという選択を考えていい。毒親に関わることで破滅するくらいなら、自分の人生を優先していいんです」
 太田さんによると、毒親介護でむずかしいのは「見極め」だという。死んでも関わりたくないほどの毒親なのか、少しくらいは助けてやろうと思えるのか、見極めができずに悩む人が多い。気持ちの整理ができない場合にはひとまず専門の相談機関に出向き、親との関係性について率直に伝えるといい。
「各地域には、高齢者の生活や介護の相談窓口である地域包括支援センターがあります。自分だけでいいので、まずはここを訪ねて親がどんなサービスを利用できるのか確認してください。過去に虐待されていた、親が暴力的、家族関係が悪い、そういう事情があるなら隠さず伝えましょう。その上で親に関わらないのか、それとも何かできるのか、相談員と話し合うことが大切です」
「捨てる」としたら、必ず行政につないでおく。やみくもに介護放棄をすると保護責任者遺棄罪などに問われる可能性があるからだ。また、自分が親と絶縁すると別の身内に面倒が及ぶこともある。兄弟や親戚には事前の状況説明も必要だ。

罪悪感を拭いきれない場合は…
 一方で、実務的な問題とは別に感情的な迷いを断ち切れない人も少なくない。老いて弱々しい親、惨めささえ感じさせるような親を本当に捨てていいものか、そんな罪悪感を拭いきれないときには発想を転換する。太田さんはその切り替え方を次のように示す。
「世の中には子どものいない高齢者がたくさんいる。でも、みなさんふつうに生きてますよね。子どもの世話にならなくても医療や介護は受けられるし、頼れる身内がいない人には相応の行政サービスがあります。つまり、自分が背負わなくてもどうにかなると割り切ってもいいんです」
 子どもがいない高齢者でもふつうに生きている、この事実を心の片隅に留めておく。それは「自分が捨ててもどうにかなる」という気持ちの整理に役立つし、罪悪感を手放すためのひとつの考え方になるだろう。
 太田さんが言うとおり、毒親との関係性はきれいごとだけでは済まない。昨今報道される凄惨な児童虐待事件からもあきらかなように、非情で非道な親は残念ながら存在する。一見立派な親が絶えず子どもの心を踏みにじり、精神的に追い込むことも少なくない。苛烈な暴力や理不尽な支配を受けてきた人にすれば、自身の苦悩の元凶である毒親との関わりなどあまりにつらいものだろう。
 自分の人生を破滅させないために親から逃げる、子どもにはその選択があっていい。そもそも毒親が「子どもに捨てられるようなひどいことをしてきた親」ならば、真に責められるべきは彼らであり、あるいは自業自得とも言えるだろう。

どこまで関わるか、一線を引く
 もうひとつの選択肢、「関わる」についてはさまざまな形がある。逃げる、縁を切るといった決定的な断絶を望まない場合には、「少しだけ関わる、少しくらいは助けよう」と考えてみる。できれば「少し」の範囲を具体的に決め、あらかじめ一線を引いておくことが大切、そう太田さんは言う。
「たとえば親が施設入所となったとき、面会には行かないけれど身元保証人にはなるとか、万一のことがあったら葬式だけは出そうとか、自分で自分の関わる範囲を決めておくといいでしょう。地域包括支援センターで相談するときも、ここはやるけれど、それ以外はお願いしますなどというように具体的に伝えてください。また、相談員には子ども側の事情がわかりません。住宅ローンや教育費が大変、失業中、持病がある、そんな事情を話した上で、親との関わり方について相談をすることをお勧めします」
 一方で、関わる範囲を決められないまま親と向き合わざるを得ない人も少なくない。とりわけ毒親に苦しめられてきた人たちは、実家と疎遠だったり、親族との関わりを避けていたりする。親子関係に長い空白があるため、現在の親の健康状態や生活状況を知らない場合も多い。
 そうした状態で、親の急病や入院、生活困窮などの問題が降りかかってくる。関わり方を考える余裕や心の準備のないまま、いきなり介護がはじまる場合もあるだろう。
「それでも最初の心構えは大事です。昔の親子関係の問題、たとえば親は私にこんなひどいことをしたとか、ずっと親が嫌いだったとか、そういう過去の事情が入ってくるとつらくなる。そこだけは気づいていたほうがいいと思います」

介護する上で知っておくべき「自分の特性」
 介護する人の支援や相談業務を行うNPO法人介護者サポートネットワークセンター・アラジンの牧野史子理事長は、「介護は勢いだけで手をつけないこと」とアドバイスする。
 突然介護がはじまれば誰しも戸惑うが、親と疎遠だったり、親子関係が悪かったりするとなお混乱してしまう。親の意思や生活状況がわからないまま、とにかくなんとかしなくてはと見切り発車する人もいるが、そんなときは「自分の特性」や「キャパシティー(許容量)」を考えたほうがいい。
「親のことはわからなくても、自分のことならわかりますよね。だからまず自分の得意や不得意、ついがんばりすぎてしまうとか、落ち込みやすいとか、そういう特性を考えてみてください。その上で自分はこれくらいなら許せそう、ここは無理、そんな意識を持つことが大切です」
 いったいなぜ自分の特性を知っておく必要があるのか、牧野さんは介護に潜む「支配」の問題を指摘する。親のためにがんばらなくては、親には自分しかいない、そんなのめり込みがときに相手への支配につながるからだという。
 とりわけ毒親に悩んできたような人たちは、親に愛されたい、自分を認めてほしい、感謝や後悔の言葉を聞きたい、そんな切なる思いを秘めている。私が取材した事例でも、「(親が)死ぬ前に、ありがとうと心の底から言わせたい」、「お詫びでもお礼でもなんでもいいから言ってもらうために、(介護を)投げ出すわけにはいかない」、そう話した人がいた。

介護が「生きがい」になってしまう人ほど要注意
「介護は人の生きがいになってしまうことがあります。要介護者(介護を受ける人)と介護者(介護をする人)の間にカプセルができて、双方が互いに依存しあうのです。親は子どもの世話にならないと生きられない、世話する子どものほうも介護を自分の使命のように捉えてしまう。かつて強者だった親が自分を頼ってくれるのはうれしいことでしょうが、尽くしすぎるのはかえって危ない面もあります」
 かつて親に愛されなかったからこそ、せめて今から愛されるためにがんばりたい、それは無理からぬことだろう。だが、「尽くしてあげている」という思いは「だから自分は報われるべきだ」、そんな感情につながっていく。報われるためには結果が必要、それも自分が満足する結果がほしくなる。
 牧野さんが扱ってきた介護相談の中に、その典型例があるという。親子ではなく夫婦のケースだが、企業戦士だった元エリートの夫が認知症の妻を介護していたものだ。
「夫は妻を献身的に介護していると誇らしげでした。認知症の進行を止めるためだと言って、妻に算数や漢字のドリルをがんがんやらせる。そうして少しでも問題を解けると、ほら、僕のお陰でこんなにできるようになったと胸を張るのです。でもそれは相手のためというより、自己満足のために強制していることでしょう。夫をエリート息子や几帳面な娘に、妻を老いた親に置き換えると、実はこうしたケースは少なくない。介護によって親を支配する、介護が子どものアイデンティティーになってしまうと、結局は『ほかの人には任せられない』と自分だけで抱え込みます。一生懸命尽くされているのですが、介護をしている方の本音はつらい場合もあります」
 一見献身的な介護にも、思わぬ落とし穴が潜んでいる。捨てるのか、それとも関わるのか、迷いながらもさまざまな角度から考え、必要に応じて周囲の助けを求めることが大切だろう。

 「母が私の首を絞めたり、包丁を突き付けたりするのです」それでも54歳ケアマネジャー女性が「毒親の母」を見捨てなかったワケ  へ続く

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「母が私の首を絞めたり、包丁を突き付けたりするのです」それでも54歳ケアマネジャー女性が「毒親の母」を見捨てなかったワケ
毒親介護』 #2: 文春新書

「母が私の首を絞めたり、包丁を突き付けたりするのです。病気のせいだったのか、それとも私が重荷だったのかわかりませんが、あの恐怖と絶望感は忘れられるものじゃありません」
 両親がともに「毒親」だったという、ケアマネジャーの山田さん。親に殺されかけた彼女が、それでも84歳の母親との関係修復を望む理由とは? ジャーナリストの石川結貴氏の新書『毒親介護』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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ケアマネジャーの親も毒親だった
 東京都にあるウェルビーイング21居宅介護支援事業所のケアマネジャー・山田理恵子さんは、数多くの在宅介護を扱ってきたベテランだ。認知症の親を抱えた子どもの苦悩を間近に見てきた彼女は、「認知症の人の介護には王道も正解もない」と話す。
「人はそれぞれ個性や生活歴、環境が違います。親を介護するときには『こういうときはこうしなければ』と考えすぎない、そして『私はできない』と自分を責める必要はありません。できないことを無理してがんばるのではなく、ほかの方法を考えたり、ヘルパーやケアマネジャーに協力してもらってください」
 たとえば親が入浴を拒むという場合、介護する子どもは「お風呂に入れなければ不潔だ」、「とにかく入浴させなくては」と思い詰めたりする。そんなときには、「1週間くらいお風呂に入らなくてもどうってことない」、「下着のままシャワーをかけるだけでもいいか」、「たまには銭湯に誘ってみよう」などと別の形を探ってみる。昔は銭湯通いが日課だったという父親なら、男性ヘルパーの派遣を頼んで一緒に銭湯に出かけてもらうなどの方法もあるだろう。
 こんなふうに親の性格や生活環境に合わせて臨機応変に、割り切りながら、できるだけ楽しく、それが介護の基本だと山田さんは言う。その一方、「介護がつらい、毎日うまくいかない、親が憎い、そんな気持ちはよくわかります」とも口にする。彼女自身が84歳の認知症の母を介護している上、実のところ両親ともに毒親だったからだ。
「私の父は事業をはじめては失敗し、借金を作っては逃げてしまうという人でした。子どものころは、父の借金の取り立て屋がしょっちゅう家に押しかけてくる。昔の話ですから、暴力団まがいのコワモテの人が乗り込んできて、そのたびに母と私は逃げるように引越しです。古くて安いアパートや借家、そんなところを転々としていました」

借金取りの恫喝、引越し、困窮…とうとう母はうつ病を発症
 ひとり娘だった山田さんは母と2人で怯え、逃げ回るような暮らしを強いられた。専業主婦だった母は仕事探しに奔走し、清掃員や家政婦、スーパーの店頭で焼き鳥を売ったりして働いた。わずかな収入では母娘が食べていくだけで精一杯、そこにまた借金取りが押しかけて返済を迫ってくる。度重なる恫喝や引越し、日々の生活困窮が追い打ちをかけ、とうとう母はうつ病を発症した。
 当時の山田さんは中学生、母を助けたくても自分では働けず、看病しようにも精神的な病気を理解するには幼すぎる。孤立無援で追い詰められる山田さんに、さらに苦しい出来事が襲いかかった。
「母が私の首を絞めたり、包丁を突き付けたりするのです。病気のせいだったのか、それとも私が重荷だったのかわかりませんが、あの恐怖と絶望感は忘れられるものじゃありません。私には母しかいないのに、その母から何度も殺されかける。暴言を吐かれたり、八つ当たりでぶたれるようなことも数えきれないほどでした。そんな暮らしから逃げ出したくても、お金や居場所、助けてくれる人だっていないわけです」
 母と山田さんを追い詰めた元凶である父は2人の困窮に目を向けることもなく、すでに別の女性と暮らしはじめていた。山田さんが20歳のときに両親は正式に離婚したが、その子ども時代は寂しさや貧しさ、父と母から受ける苦しみとの闘いだった。
「自分が散々つらい思いをしたから福祉の道に進んだ」、そう話す彼女はおとなになってから父との交流を絶ち、母とは別々の暮らしを送ってきたという。

認知症の母親への介入のタイミング
 その母に認知症と思われる症状が現れたのは2年前だ。専門職の山田さんはすぐに異変に気づいて受診を勧めたが、母は「私は病院なんて行かない」と頑なだった。双方の自宅は車で20分ほどの距離だったため、山田さんは時間をやりくりして母の様子を見にいくことにした。
 認知症になった母は料理の手順を思い出せず、自分でご飯のしたくができない。それでもコンビニのお惣菜を買ってくる様子に、山田さんのほうは「まぁ飢え死にしないならいいか」と考えた。母をないがしろにしていたわけではなく、介入のタイミングを計っていたのだという。
「そのころ母は道に迷って交番のお世話になり、パトカーで自宅まで送ってもらったりしていました。そういうトラブルのたびに『病院で診てもらおう』と説得しましたが、何度勧めても受診を拒否するのです。本人の頑なさ、これまでの生活歴や性格なんかを考えると、無理強いしてもうまくいかないだろうと。少しずつ段階を踏んで最低限のところを支えていく、それでも無理となったときのほうが本人も納得しやすいかなと考えました」
 とはいえこうした方法はあくまでも山田さんの場合であり、すべての人に共通するものではない。母親の性格や親子の関係性などを踏まえた、彼女なりの臨機応変の対応だ。
 しばらくすると母はコンビニの惣菜を買わなくなり、今度はお菓子ばかり食べるようになった。母の家の冷蔵庫を開けるとスポンジケーキしか見当たらないこともあり、山田さんはご飯やおかずを持参するようになる。
 1年ほど過ぎると、冷蔵庫に何も入っていない日が現れた。そこで山田さんは母に「受診と介護保険の申請」を勧め、併せて同居を持ちかけた。
「さすがに母も、これ以上は無理だと感じていたようです。介護申請に納得してくれて、ほどなく要介護1と認定されました。今年から私のマンションで同居をはじめましたが、『こんなところに来たくなかった』とか、いきなり文句の連発です。私は専門職ですから、母の言動は認知症特有の混乱なのだと頭では理解できる。でもつい感情が先走って、お母さんは昔からこうだった、ああだったと責めてしまいます。専門職の自分でも親を冷静に見られない、昔から引きずってきた苦しみはそう簡単に消えないものだと実感しましたね」

いつか母と心の底からわかりあいたい
 山田さんは母との同居後、「真空パックが開いた」感覚を覚えたという。それまで封をしてきた過去が一気になまなましく現れた、そんな気がしてならない。それこそ小学生のときの話にまで遡り、毒親だった両親への恨みつらみが噴出しそうになったりする。
 それでも山田さんが母との同居を選び、主体的に介護に関わろうと決めたのには、大きく2つの理由がある。ひとつはお金の問題だ。
「母には国民年金しかなく1ヵ月の受給額は3万円ほど、それでは特別養護老人ホームに入るのもむずかしいでしょう。そもそも都内の特養は満杯で、要介護5の人でも入れなかったりする。地方の施設や、安いけれど劣悪な無認可施設に入所せざるを得ない高齢者も増えています。私は仕事柄そういう現実を知っているので、お金のない母の先行きが見えてしまう。自分の母親を遠くの施設にひとりで送るのか、劣悪な無認可施設に入れてもいいものかと悩みました」
 お金のない母の先行きに悩むくらいならひとまず同居してみよう、そう山田さんは考えた。それは母のためというよりも、「自分の納得のため」だ。

「母とはいろいろあったけど、可能ならいい関係になりたい」
「84歳という母の年齢、そして認知症であることを考えると、一緒に過ごせるのもあと数年かなと思います。母はいずれ施設のお世話になるかもしれないし、あっけなく亡くなることだってあるでしょう。それまでの間に、私はこれだけのことをした、やれることはやったという納得がほしい。自分で自分に、よくがんばったね、そう言いたい気持ちがあるんでしょうね」
 同居を選んだもうひとつの理由は希望、「母とはいろいろあったけど、可能ならいい関係になりたい」と話す。
 実際に希望を見出せるのか、今の山田さんには確たる自信はない。母の言動についひどい言葉を返したり、些細なことで苛立ったり、過去の苦しみが沸き起こることがあるからだ。思わず母を責めてしまう自分に後悔と罪悪感を覚えながら、一方でその感情があるからこそ次につながるようにも思える。
 今日の自分の反省が明日の母への優しさになり、今の失敗が次はこうしようという気持ちを呼ぶ。そんなふうに一日一日を積み重ねながら、いつか母と心の底からわかりあいたい、それが山田さんの抱く希望だ。
「今、私は54歳です。この年になって過去を振り返ったとき、子どものころの私にひどいことをした両親は今の私よりずっと若かった、おそらく未熟だったなぁと思うのです。特に母は、父の女性問題や借金、生活苦にうつ病、いろんな苦しみを抱えていた。もしも私が母と同じ年齢で同じ苦しみを抱えたら、自分のことに精一杯で毒親にならざるを得なかったかもしれません」
 子どもの視点から母を見るのではなく、母の人生を自分に置き換えるとまた違った思いになる。山田さんの言葉からは、かすかな、けれども大切な希望も感じられてならない。