110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ハイデッガー『存在と時間』註解(マイケル・ゲルヴェン著)

 学生のころも、今回のようにきちんと復習はしなかった様に思う・・・?
 (本書を読んで、その後に解説書を読む)

 前回、「存在と時間」を、一読してから、本書を読むと、非常に雑な読み方をしていたことに気づく。
 「存在と時間」をお読みになった方はおわかりいただけると思うが、それは、表面上、非常に多面的で、自分の都合で解釈してしまえるような著作なのだ。
 「存在と時間」は専門家の目から見ると、非常に厳密に論理を進めているということだが、私の様な「浅学」なものは、「本来的(非本来的)」「死」「良心」などの言葉に、何か倫理的、ある意味宗教的なものを、勝手に「予期」して自分勝手に解釈してしまう。
 しかし、本書を読むと、ハイデッガーはそういう「価値判断」を極力排除しながら「実在論存在論」を展開していることが伺われる。
 いずれにせよ、「存在と時間」は難解な著作だから、また、いつか再読する機会が持てればと思う。

 本来は「存在と時間」で引用するべきだが、ここではこのような文章が目に付いた。
・・・本来的歴史性は現存在の未来とのかかわりにおいて意義をもつものであるが、それは現存在が自己の可能性へと投企する時、それを自己の遺産と運命のかかわりにおいてするからである。この行為(これが本来的現在を成す)と可能性への投企(これが自己の本来的未来を成す)とは共に歴史的に重要なのである。そしてこのことは、歴史とは死んだ過去ではなくて生きた現存在の特色であることを語っているのである。
 未来に視点が向けられるということは、未来に希望が向けられると言うように解釈される。
 そして、それが「現存在(=ヒト)」の特色で有るという記述は、何か楽観的な要素も受けられる。
 しかし、本当にそうだろうか、「何か条件はないのか?」という判断が求められると思う。
 それは、「存在と時間」という著作の問題だけではなく、現実の様々な「言葉」の中にもあるように思う、そちらの方が深刻なのかもしれないが。