未知の次元(カルロス・カスタネダ著)
カスタネダの名前は「気流の鳴る音(真木悠介著)」に紹介されている。
本書は、1979年に日本語版で刊行されているが、本作を含めた「呪術師ドンファン」のシリーズは1970年代には、結構影響があったようだ。
解説を読むと、本作の真偽について書かれている、それについてはどちらでも良い様な気がする。
本書は、1979年に日本語版で刊行されているが、本作を含めた「呪術師ドンファン」のシリーズは1970年代には、結構影響があったようだ。
解説を読むと、本作の真偽について書かれている、それについてはどちらでも良い様な気がする。
本書を読んでいると、ハイデッカーの「存在と時間」の考えとある意味類似していて、ある意味違う様に思われる。
「トナール」と「ナワール」という考え方(用語)が出てくるが、「ナワール」は「世界」という位置づけにすると「世界ー内-存在」である「現存在」という考え方に符合するように思われる。
本書で更に興味を引いたのが、ドンファンの言った次の言葉、
「トナール」と「ナワール」という考え方(用語)が出てくるが、「ナワール」は「世界」という位置づけにすると「世界ー内-存在」である「現存在」という考え方に符合するように思われる。
本書で更に興味を引いたのが、ドンファンの言った次の言葉、
「何しろわしが相手にしていたのは、自分の生死に関心をもたず、厚かましくも自分を不滅だと思っている人間だったからな」・・・
「死の不安に耐えながら現存在する」というハイデッガーの思想の裏返し(非本来性)が、この言葉によって現れてくるように思う。 しかし、ある意味無限性を持つ「ナワール」へ超越するという本書での思想は、あくまで、有限性が時間を構成するというハイデッガーの思想との差であると思う。
そのような事を考えながら読んだ本でした。